誰もが悪を犯す可能性をはらむ
「自分が悪を犯すことなどありえない」。そう断言できる方に是非とも観ていただきたいのが、映画『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』です。本作では、1963年にイェール大学で心理学者スタンレー・ミルグラム(1933~1984)らの行った社会心理学の実験が、実際の映像も挟みつつ描かれています。
この実験において、被験者は隣室にいる相手に四択問題を出し、間違えると電気ショックを与えます。電撃は誤答のたび強くせねばならず、最終的にはかなり強度の痛みを伴うことがあらかじめ伝えられているのですが、65%の被験者が相手に重度の危険が及ぶと知りながら、最大の電撃まで加えてしまいました。
もちろん電気ショックはダミーで、隣室の相手はこの実験の協力員です。したがって実験中、相手は演技でうめき声を上げたり、用意しておいた録音を流したりすることで、実験の停止を懇願します。
これを受けて、流石にほとんどの被験者は困惑するのですが、後ろに控えている白衣を着た研究員から「実験を続けて下さい」と冷静に諭されただけで、多くが特に抵抗することなく電撃を与え続けました。
被験者たちは、弱みを握られたり、危険に晒されたりすることで強要されたわけではありません。ただ実験を続けるよう促す指示を真に受け、多少の疑問を感じながらも、言われた通りに動いてしまったのです。
悪は思考停止の凡人から生まれる
この通称「ミルグラム実験」は、閉鎖的な状況下では権威者の指示に抵抗なく従ってしまうという人間の心理を実証したもので、性別、人種、国籍、職業、学歴に関わらず、誰もが悪に陥る可能性があることを示唆しました。哲学者のハンナ・アレント(1906~1975)は著書『責任と判断』で「悪の凡庸性」を説きましたが、本実験はまさにそれを科学的に証明した形です。
ミルグラム実験は別名アイヒマン・テストとも呼ばれています。「アイヒマン」とは、第2次世界大戦下のドイツでホロコーストに深く関与したアドルフ・アイヒマン(1906~1962)のことです。
彼は裁判で「自分は命令に従っただけ」と供述しました。アイヒマンが人格的に巨悪であったのならば話は早いのですが、彼は「どこにでもいる小役人」だったのです。ここに、アレントの「悪は悪人が生み出すのではなく、思考停止の凡人が作る」という言葉が体現されていますね。
この実験は、その手法や成果を巡って賛否両論ありますが、「どこにでもいる善良な市民」が隣室の相手に抵抗なく電撃を加えていく様子は衝撃的です。
僕らは無意識のうちに権威主義に陥りがちで、「信頼できる」と思える組織や人からの指示には、自身の声に耳を傾けることなく従ってしまう傾向があることを肝に銘じなければなりません。何か行動を起こす際、まず自分の頭で考えることがいかに大切か、痛感させられた作品でした。