全ての夢追い人必読!サマセット・モーム『月と六ペンス』

19世紀の画家ポール・ゴーギャンがモデル

 イギリスの小説家ウィリアム・サマセット・モーム(1874~1965)。今回は、彼が1919年に発表し、名声を得るきっかけとなった『月と六ペンス』(岩波文庫)をご紹介します。

 本作は、モームがポスト印象派の画家ポール・ゴーギャン(1848~1903)の生涯にヒントを得て書いた小説です。主人公は筆者自身を投影したような、少し名が売れ始めた作家で、その彼が記憶と証言をもとに天才画家チャールズ・ストリックランドの人生を描くという形式を取っています。

月と六ペンス (岩波文庫)

月と六ペンス (岩波文庫)

  作中のストリックランドは、かなりぶっ飛んだ人物として描かれています。共同代表として証券会社を経営し、妻子も持って裕福な家庭を築いていながら、何の前触れもなく消失。理由は「絵が描きたいから」。最終的に、彼は2度と家族の元に戻ることはありませんでした。

 また病気になった際には、親身になって看病してくれた友人の妻を奪い、挙句の果てに、彼女が自ら命を絶つに至るまで追い込んでしまいます。そんな大変な事態でも、彼は動揺の色一つ見せません。

 何かの仕事を得ても、絵の具とキャンバスが手に入るとすぐに絵を描き始めてしまうので定着しません。一文無しで浮浪者のような生活を送っていた彼は、最終的に南太平洋のタヒチに渡り、そこで後世に語り継がれる傑作の数々を生み出すこととなるのです。

普遍的価値観から大きく逸脱した存在

 ストリックランドは、常識、良心、世間体といった、ほとんどの人間が束縛を免れないような価値観から完全に逸脱した存在です。彼の思考は全て、自らが得たインスピレーションのままに絵を描くために費やされます。人々から嘲笑されようと、困窮しようと、病気になろうと、彼にとってはどうでもいいことなのです。

 それだけならば自己完結しているのでまだ許せますが、彼は他人からの好意や彼のために払われる犠牲を顧みることもありません。平然と妻子を捨て、命の恩人を裏切り、周囲の人を深く傷付けます。f:id:eichan99418:20190420153041j:plain

芸術家とはかくあるべき

 それでも、人格はさておき、「描く」ことに憑りつかれたストリックランドの狂気が垣間見えるシーンは圧巻でした。ストリックランドの妻に頼まれ、家庭に戻るよう説得に赴いた主人公に対して、彼はポツリと言うのです。

「どうしても描かねばならないのだ」

 やはり、芸術家とはかくあらねばなりません。綾瀬はるかが主演した2013年の大河ドラマ「八重の桜」で、小説家を目指すために出奔しようとした徳富蘆花が引き留められた際に言い放ったのは、次の言葉でした。

「食うために書くんやない。書くために食うんや!」

 これぞ至言。真の芸術家にとって、飯の種になるか否かは行動の動機付けにはならないのです。ただ1つ「書かねば(描かねば)ならない」という逆らえない衝動のみが、彼らを突き動かすのでしょう。

『月と六ペンス』は理想と現実

 こうした芸術論は、タイトルである『月と六ペンス』にも関わってきます。実は、作中には「月」も「六ペンス」も全く登場しません。比喩として用いられることも皆無です。では、なぜモームはそのような奇妙なタイトルを付けたのでしょうか。

 解説によると、「月」は夢や理想、「六ペンス」は現実を指しています。人は誰しも、その両者の間に生きなければなりません。ストリックランドは限りなく「月」を優先させた人物として描かれますが、多くの人は「六ペンス」を潔く捨て切ることができません。

 他人の恩を仇で返すような真似をするのはいかがなものかと思いますが、それでも皆どこかに、全てを差し置いてでも「月」だけを追い求められる人間への憧れを持っているのではないでしょうか。実際、ストリックランドは比類の無いろくでなしであり、かつこれ以上無いくらい魅力的な男でした。

 僕はサマセット・モームの小説を初めて読みましたが、「なぜこれをもっと早く読まなかったのだろう」と後悔したほど心に響くものがありました。理想を求めつつ現実を生きる全ての人にオススメしたい作品です