「天皇」はどこから来たのか?
平成も残り僅かとなりました。あと数日で新天皇が即位し、令和に改元となります。日本の天皇家は世界でも有数の歴史を誇りますが、その起源についてはよく知らない方が多いのではないでしょうか。
日本の「天皇」はどこから来て、いつから「天皇」と呼ばれるようになったのか。また「日本」という国号はいつどのように定まったのか。様々な学説を取り上げながら、詳細な史料考察を元に古代日本の成立について紐解くのが、講談社学術文庫から出ている「天皇の歴史」シリーズの『神話から歴史へ』(大津透著)です。
- 作者: 大津透
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/12/13
- メディア: 文庫
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序章 「天皇の歴史」のために
第1章 卑弥呼と倭の五王
第2章 『日本書紀』『古事記』の伝える天皇
第3章 大和朝廷と天皇号の成立
第4章 律令国家の形成と天皇制
第5章 天皇の役割と「日本」
神話と歴史が交わる瞬間を捉える
『古事記』や『日本書紀』に見られる日本神話の中では、日本を生んだ神であるイザナギ、イザナミの末裔として初代神武天皇が位置付けられており、そこから125代目に当たるのが、現在の今上天皇です。
しかし、学校教育で日本史を学ぶ際、国家の支配者として最初に名が挙がるのは神武天皇ではなく、有名な金印に記された漢委奴国王(1世紀頃)や邪馬台国の卑弥呼(3世紀前半)、古代中国南朝の宋に朝貢した倭の五王(5世紀)ですよね。では、彼らは『古事記』『日本書紀』の神話で描かれた天皇の系譜上に存在するのでしょうか。
これを考える上で、「邪馬台国=後の大和朝廷」なのかを検討せねばならず、邪馬台国の位置が重要になってきます。畿内説と九州説が有力ですが、畿内であれば大和朝廷に繋がる可能性が高まるわけです。また、日本国内に2つの政権が並立していた可能性や、現在の天皇家は古代において一度断絶したとする王朝交替説もあります。
いずれにせよ、神話と歴史が交わる境目があり、そこに分け入るのが古代史の醍醐味と言えるでしょう。「神話=物語だからフィクション」と片付けてしまうのは簡単ですが、その中に真実が隠されていることもあります。神話それ自体は荒唐無稽であっても、それを作り伝えた人は確実に存在する。その意図を分析していくと、様々な「真実」が見えてきます。
人が嘘をつくのには理由がある
もちろん歴史学である以上、確たる史実を突き詰めていくのは大前提です。例えば古墳から木片が出土すれば、炭素年代測定で大まかな年代を判断。更に同じ遺跡から出てきた刀剣に60年周期の干支が刻まれていれば、西暦を特定することも可能となります。
また、一次史料として価値が高い他国(主に古代中国)の記録を読み解き、それを日本国内にある遺跡からの出土品と照らし合わせることで、新たな事実が浮かび上がることもあります。
神話でも公文書でも、歴史学において史料批判は欠かせません。ただ、仮にそれらが信用できない情報であったとしても、歴史を紐解く鍵になる可能性はあります。考えてもみてください。何の理由も無く、ノリで嘘をつく人はいませんよね。特に公文書ともなれば、そこに刻まれた文言には必ず何らかの意図があります。
人が嘘をつくのには理由があるのです。「自国の強さを見せつけたい」「政敵を滅ぼしたことを正当化したい」など、その理由さえ突き止められれば、歴史学にとって大きな一歩に繋がります。
同じ歴史事象が、日本と他国双方の史料に描かれていれば、嘘や脚色を突き止め、真実を見抜く上で頼もしい材料となるでしょう。たまに意図しない誤記があるのはご愛嬌です笑
日本という国号に見る中国の影響力
さて、『神話から歴史へ』の内容ですが、古代の行政制度や祭祀といった部分は初めて知ることも多く、正直難解でした。ただ、そんな中でも神話を掘り下げた部分は面白かったですね。
また史料を紐解くと、日本は島国ながら決して孤立してはおらず、古代から国際関係の中で国家としての体裁を整えてきたことがよく分かります。例えば、飛鳥に都が置かれた真の理由は、そこに高い技術力を有した渡来人が多く住んでいたからだそうです。
こうした事情を深く学びたい方は日本の誇る歴史学者、網野善彦(1928~2004)の書いた『「日本」とは何か』(講談社学術文庫)がオススメです。
- 作者: 網野善彦
- 出版社/メーカー: 講談社
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そもそも「日本」という国号自体、中国の多大な影響下に付けられた名前です。日本には「日出る処」という意味があるわけですが、日本から太陽が昇るためにはより西方、つまり中国から見なければなりませんよね。日本を中心に考えると、太陽が昇るのはより東の太平洋上となるはずです。
したがって「日本」という国号は、あくまで中国が中心であることを認めた上で付けられた名前なのです。しかも、この国号を使うにあたって、日本はわざわざ中国側にお伺いを立てており、あの則天武后(624~705)から承認を受けたとの記録があります。
古代日本に多かった男女の共同統治
奇しくもこの4月末、今上天皇が約200年ぶりとなる譲位を行う予定となっていますが、『神話から歴史へ』ではその理由や意義などについても述べられていました。
ちなみに日本で初めて譲位が確認されているのは645年、皇極天皇(594~661)から孝徳天皇(596~654)への継承になります。年号からお察しの通り、これは「大化の改新」の影響です。
また、女性天皇に関する記述も多く見られました。女性は呪術的性格を帯びていると思われており、古来より「巫女」としての機能を果たしていました。神託を受けられるのは女性に限るとされていたわけです。
そのため、男性天皇の場合はその任にあたる役職が設置されるのですが、女性天皇は自ら神託を受けられるため、わざわざ役職が置かれていない。これは面白い事実ですね。
元々日本では男女が共に統治する形態がよく見られたそうで、これを「ヒメ・ヒコ制」と呼ぶそうです。確かに、卑弥呼も弟と共に統治していましたし、推古天皇(554~628)と聖徳太子(574~622)などもその例かもしれません(推古天皇は聖徳太子の叔母にあたります)。
何もかも分からないことだらけで、数少ない史料も嘘や脚色に塗り固められていることが多いからこそ、論理的思考力を駆使して真実に迫る。『神話から歴史へ』は古代史の醍醐味を存分に味わえた1冊でした。やはり、古代にはロマンがありますね。
古代史に興味のある方は、下記の記事も是非ご覧になってください。
・古代イスラエル王国
・アレクサンドロス帝国
・カルタゴ
・ローマ帝国