20世紀の最重要作家ジェイムズ・ジョイスが描いたダブリン

ダブリンの様々な人間模様を描く

「20世紀で最も重要な作家」と称されるジェイムズ・ジョイス(1882~1941)。アイルランド出身である彼の世界的代表作と言えば、同国の首都ダブリンに住む冴えない中年男性の1日を膨大な分量で描いた『ユリシーズ』でしょう。

 彼は1904年以降の人生(生涯の3分の2)を異郷の地で過ごしながら、そのあらゆる著作において、一貫して故国アイルランドとその首都ダブリンを書き続けました。今回はその中でも、ダブリンに暮らす人々の様々な人間模様を描いた15の短篇集『ダブリンの人びと』(ちくま文庫、米本義孝訳)をご紹介します。

ダブリンの人びと (ちくま文庫)

ダブリンの人びと (ちくま文庫)

『ダブリンの人びと』の収録作品

姉妹(1904.8)
ある出会い(1905.9)
アラビー(1905.10)
イーヴリン(1904.9)
レースのあとで(1904.12)
二人の伊達男(1906.2)
下宿屋(1905.7)
小さな雲(1906.4)
対応(1905.7)
土(1904.11)
痛ましい事故(1905.7)
委員会室の蔦の日(1905.8)
母親(1905.9)
恩寵(1905.12)
死者たち(1907)

透徹したリアリズムが特徴

 本作では、各作品が制作年順ではなく、主人公の年齢によって少年期、青年期、壮年期のような形で並んでいます。

 作品全体を貫くのは透徹したリアリズムで、読んでいると身に覚えのある感情が描かれていたり、「こういう人いるよな」と共感できる人物が多く登場したり、等身大で描かれている印象を受けました。『ダブリンの人びと』は100年以上前の小説ですから、技術が飛躍的に進歩しても、人間が情緒的な部分に関しては変わっていないことを思い知らされます。

 例えば少年期を描いた作品であれば、主人公が自我に目覚め、自分の中の虚栄心を認識したり、憧れていたロマンスが幻想であることを悟ったりします。また、相手の話など一切聞いておらず、ひたすら自慢話を続ける男性や、周囲の白い目などお構いなしで自己中心的に主張を貫くモンスターペアレントも登場します。

小説の端々に隠されている象徴性

 作中では、様々な部分にある種の「象徴性」が隠されている箇所が多く見受けられました。登場人物の国籍と各々の行動、そして物語の結末に国際関係の縮図を反映させたり、言葉の端々に宗教的な意味合いを帯びさせたり、ある意味で芸が細かいと言えます。

 作家の中には「小説とは書いてある言葉が全てであり、それ以上でも以下でもない」と説く人もいます。小説内の表現から派生した類推や言葉の象徴性を否定しているわけですが、『ダブリンの人びと』はその対極に位置しているような作品ですね。

 ただし、時代背景や文化の違いがありますから、1900年代前半当時のダブリン市民であれば理解できたような象徴性も、現代日本を生きる僕らにはなかなか分かりづらい部分が多いのは事実。僕も解説が無ければ、確実に重要な部分をかなり読み飛ばしていたことでしょう。

 ちなみに『ダブリンの人びと』は岩波文庫(題名『ダブリンの市民』)や新潮文庫(題名『ダブリナーズ』)など様々な出版社から出ています。『ダブリナーズ』(新潮文庫)の訳が読みやすいとの声もありますが、少なくとも解説と脚注に関しては、ちくま文庫が充実していたので重宝しました。

ダブリンの市民 (岩波文庫)

ダブリンの市民 (岩波文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)

何も変わらない人生をあえて描く

 前述の通り、『ダブリンの人びと』はリアリズムを重視した作品です。フィクションとはいえ、多くの実在の人物が会話の中で話題に上りますし、劇的・空想的な展開を好むロマンチシズムとは対極に位置すると言えるでしょう。

 高校時代、国語の先生から「主人公は作品の中で成長する。少なくとも始めと終わりで何かが変わる」と教えられたものですが、『ダブリンの人びと』のような類の小説では、そうとは限りません。むしろ「何も変わらない」という現実をあえて描写しています

 実際の世界で周囲を見渡せば、劇的な人生を送っている人よりも、日々同じような仕事を繰り返している人の方が遥かに多いですよね。細やかな幸せに喜び、ちょっとした失敗や不運に気持ちが沈む。しかし、圧倒的なハッピーエンドもバッドエンドも無い。そんな人生を送る人々を淡々と描くのがジョイス作品の特徴です。

 ジョイスが『ダブリンの人びと』で描こうとしたのは、ダブリンという街そのものでした。彼から見た20世紀初頭のダブリンは決して良い街ではなく、暗い雰囲気が漂っていたようで、それを描写したければ、ダブリンに暮らす人々をできる限り精緻に描けば良かったのです。彼がリアリズムを駆使することになった経緯にはそうした事情があります。

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現在のダブリン市街

ジョイスの見せたロマンチストな側面

 ただ、本作は単に「暗い小説」というわけではありません。滑稽な人物を登場させることで人間の愚かさを描写しつつ、それを喜劇的に扱い、どこか「クスッ」と笑ってしまうような場面が多く見られました。

 ある意味では故国を捨てたとも言えるジョイスですが、国外に身を置きながらも、ひたすら故郷のダブリンを描き続けたわけですから、やはり祖国愛はあったのではないかと感じます。少なくとも、文章の力で何かを成し遂げようという情熱は本物だったことでしょう。

 また余談ですが、冒頭で少し紹介した『ユリシーズ』で取り上げられた「1日」とは1904年6月16日です。これはジョイスが、後に妻となるノラ・バルナクルと初デートをした日という理由で選んだとのこと。リアリズムを体現した小説家にしては、ロマンチストなところもあったわけですね。

 ちなみにこの6月16日、今では『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームの名前を取って「ブルームの日」と呼ばれており、ジョイスの人生を祝う記念日になっています。ジョイスは誕生日ではなく、自身の作品で描いた日に祝われているということで、作家冥利に尽きますね。

『ユリシーズ』は集英社文庫から4巻本が出ていますが、それぞれが解説を含めると約700ページもありますので(合計約3000ページ!)、なかなか取っつきにくいでしょう。その点、『ダブリンの人びと』は短篇集ですし、全体としても400ページ弱と格段に読みやすいので、初めてジョイスに触れる方にはオススメです。