ローマ人の物語(1)/古代ローマ建国から共和政成立まで

統治に必要な知識満載の古代ローマ史

 B.C.753年の伝説的建国から476年の西ローマ帝国滅亡まで、約1200年間にも及ぶ歴史を誇った古代ローマ。王政、共和政、帝政と政体を変遷させながら地中海世界の覇権を握っていったその歴史を学ぶと、政治、経済、外交、軍事、人心掌握、インフラ整備など、国家統治に必要なあらゆる知識と知恵が満載されているのを見て取れます。

 そんな古代ローマの歴史を比較的詳しく、分かりやすく、網羅的に解説しているのが、塩野七生(1937~)の代表作『ローマ人の物語』です。彼女は歴史作家として司馬遼太郎賞も受賞しており、『ローマ人の物語』はどこの書店に行っても置いてあるほど流通しているので、知名度はかなり高いと言えるでしょう。経営者の中にも、本作を愛読している方は沢山おります。

 日本において古代ローマ史、イタリア史、イタリア文化に対する関心を高めたことが評価され、イタリア共和国からも勲章を授与されている塩野七生。1970年、30代の時点でイタリアに移り住み、同国の永住権を得てローマに在住しています。

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フォロ・ロマーノ遺跡

『ローマ人の物語』は一見すると、一次史料に基づいて古代ローマの通史を描いた学術書のように思われるかもしれません。しかし、作者の主観、感情、推測、史観が大いに入っており、所々で後世の作り話や信憑性の低い言い伝えが史実と並行して書かれているため、「史書」と言うよりもまさに「物語」と呼ぶのが相応しい作品です。

 それでも、あくまで「小説」であることを理解し、彼女の主観や推測の部分を意識しながら、「伝承」と「史実」を混同しないように気を付けて読めば、大まかなローマ史の概略を知る良い機会になるでしょう。以上を踏まえた上で、本ブログでは『ローマ人の物語』(新潮文庫)を1巻ずつ紹介していきたいと思います。

建国から共和政成立までを描く

 さて、『ローマ人の物語(1)ローマは一日にして成らず(上)』(新潮文庫)では、B.C.753年の古代ローマ建国から、B.C.509年に共和政が成立し、B.C.450年頃に古代ローマ初の成文法である十二表法が制定されるまでの約300年間を描きます。 

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)

  前述の通り、古代ローマの歴史が約1200年間(B.C.753~476)であることを考えると、そのうちの4分の1(25%)が全43巻中この1巻のみ(2.325%)に収録されていることになります。

 ちなみに、第2巻で描かれるのはB.C.272年の共和政ローマによるイタリア半島統一まで。したがって、約500年間(約40%)の歳月が全43巻中最初の2巻(4.65%)に含まれているわけですね。

 ただ、紀元前8世紀ともなると信憑性に欠けるエピソードばかりですし、史料は基本的に時代を遡るほど少なくなりますので、このアンバランスさは当然の帰結でしょう。

7人の王がローマを治めた250年

 ロムルスによる伝説的な建国から始まる王政ローマは、B.C.753~B.C.509の約250年間続きました。その間に即位した7人の王は以下の通りです。

初代 ロムルス(B.C.771~B.C.717)
2代 ヌマ・ポンピリウス(B.C.750~B.C.673)
3代 トゥルス・ホスティリウス(B.C.710~B.C.641)
4代 アンクス・マルキウス(B.C.675~B.C.616)
5代 ルキウス・タルクィニウス・プリスコ(?~B.C.579)
6代 セルヴィウス・トゥリウス(?~B.C.535)
7代 ルキウス・タルクィニウス・スペルブス(?~B.C.495)

 基本的に世襲制ではなく、能力があると見定められた人物が次代の王に据えられたようですが、あくまで伝説の域を出ません。また、6代目と7代目は先王を殺害しての即位ですから、穏やかとは言えませんね。

 それでも、この250年間で古代ローマが「7つの丘に集まった人々の集落」から巨大な城壁、神殿、競技場などを備えた「都市国家」へと飛躍を遂げたことは確かです。

絶頂期のギリシア諸国に学ぶ

 B.C.509年、専横を極める王とその一族を追放して共和政を創始し、初代執政官(コンスル)となったのがルキウス・ユニウス・ブルトゥス(?~B.C.509)です。ちなみに、名前が似ていると思って調べたところ、約500年後にガイウス・ユリウス・カエサル(B.C.100頃~B.C.44)を暗殺することとなるマルクス・ユニウス・ブルトゥス(B.C.85~B.C.42、英語読みブルータス)は、彼の末裔でした。

 7つの丘への定住から始まった古代ローマ。周辺民族との抗争に明け暮れ、ようやく「都市国家」としての体裁を整えた彼らは、共和政に移行した後、国外へと目を向けます。もちろん、未だローマに海外進出を行う力などなく、先進国から政治制度、文物、技術などを学ぶのが目的でした。

 彼らが使節団を派遣することを決めたのはギリシア諸国。紀元前5世紀中葉当時、ペルシア戦争に勝利して絶頂期を迎えようとしていたアテネやスパルタに、ローマ人たちが上陸します。

次巻へつづく)