19世紀アメリカの天才詩人、エミリー・ディキンソンの傑作50選

生前は全くの無名だった

 19世紀、アメリカのマサチューセッツ州アマーストに生き、「世界文学史上の天才詩人」とも謳われるエミリー・ディキンソン(1830~1886)。彼女は人生の大半を生家とその周辺で過ごし、自らの作品をほとんど発表しなかったため、無名のままその生涯を閉じました。しかし彼女の死後、家族らの手で発見された多くの詩が世に出ると、最終的には前述のような最高の評価を得るに至ったのです。

 ディキンソンは生涯で1700篇以上の詩を書き残しましたが、岩波文庫から出ている「アメリカ詩人選(3)」の『対訳 ディキンソン詩集』(亀井俊介編)では、その中から傑作50篇を厳選。彼女の織り成す詩の世界を大いに愉しむことができます。

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

ほど良い解説が理解を助ける

 上記の『対訳 ディキンソン詩集』では、左ページに英語の原文、右ページに日本語訳が書いてあります。基本的に行と対応して記載されているため、英語が苦手な僕でも原文の雰囲気を味わいながら読むことができました。

 また、小ぢんまりとではありますが、各篇のページの下部に脚注のような形でほど良く解説が掲載されており、理解を深める上で有用でした。

 受験英語で登場するものとは毛色の異なる英単語が多いので、正直語彙は分からない部分が多々ありました。また、仮定法が多用されており、be動詞も頻繁に省略されているなど、音の感覚を重視するためか、文法的な解釈が難しい側面もあります。そんな時、解説の存在は良い手助けとなるでしょう。

 もちろん解説に書かれている解釈が全てではありませんし、最初からそちらを読んでしまうと思考が引っ張られるため、まずは自身の感性のみで読むことをオススメします。ただ、上記のような理由から理解が難しい部分に突き当たった際には、解説によって納得感を得ることができます。

 他の解釈がある場合にはそちらも併記されるなど、解説の論調も断定的ではなく、また端々から亀井俊介氏のディキンソンに対する愛が伝わってくるので、とても好感が持てます。これが500円程度で買えるのですから、贅沢と言うほかありません。

情緒溢れる表現力に感銘

 さて、肝心の詩ですが、ディキンソンは人生観や死生観、自然観察、キリスト教信仰に対する態度、愛などを主題とした作品が多い印象を受けました。また、「詩人とはどうあるべきか」といった詩論的な作品もあります。

 具体的には是非読んでいただければと思いますが、ここでは特に、僕が感銘を受けた詩をご紹介しましょう。

 まずは「Water, is taught by thirst.(水は、のどの渇きが教えてくれる)」。この中でディキンソンは「陸地は海が、歓喜は苦痛が、平和は戦いの物語が教えてくれる」と語ります。彼女の思考で一貫しているのは「苦悩があるからこそ、喜びが感じられる」「死があるからこそ、生が輝く」という考え方。これを表現した詩は、他にも数多くあります。

 また、別の視点になりますが、この詩の中で最も素晴らしいと感じたのは、最後の「Birds, by the Snow.(小鳥は、雪が)」というフレーズです。これは「Birds, are taught by the Snow.(小鳥は、雪が教えてくれる)」の略で「雪が降る季節になると鳥の姿や鳴き声が消えてしまうため、かえってその存在が顕著に感じられる」という意味が込められています。なんと情緒溢れる描写かと思い、ハッとさせられました。f:id:eichan99418:20190714235912j:plain

時の流れや自然の描写に長ける

 ディキンソンの詩の中でも、「Safe in their Alabaster Chambersー(雪花石膏の部屋で安らかにー)」「Because I could not stop for Deathー(私は「死」のために止まれなかったのでー)」などでは、時の経過が鮮やかに描写されています

 前者では、誰にも邪魔されず雪花石膏の部屋(=墓)で眠る人々の上を歳月が過ぎ、時代が変わっていきます。また後者では、「子どもたち、実った穀物、沈む行く太陽」を通して、若年期、壮年期、老年期が示されるという具合です。

 自然観察の詩としては「A Bird came down the Walkー(小鳥が道をやって来たー)」が分かりやすいですね。この中では小鳥の細かい動きが独特の比喩で描かれます。ディキンソンは蜘蛛を「芸術家」と評して、これを踏まえた詩を書いている他、蛇など人が嫌いがちな生き物にも関心を向けていたようです。

 生き物以外にも、彼女は「She sweeps with many-colored Broomsー(彼女はあやなす色の箒で掃くー)」で太陽を擬人化し、これが西の空に沈んでいく様子を軽やかに詠っています。また、自然ではありませんが、機関車を力強く描いた「I like to see it lap the Milesー(わたしは見ることが好き、それが何マイルも舐めていきー)」のような詩も残しています。

詩人とはどうあるべきかを追求

 ディキンソンは詩や言葉というものに深い思い入れを抱いていたようです。「This was a PoetーIt is That(これが詩人というものー詩人とは)」「The Poets light but Lampsー(詩人はランプに火をともすだけー)」といった作品では「詩人とはどうあるべきか」について持論を率直に語っています。

 彼女にとって詩人とは、「ありきたりの草花から素晴らしい香水を抽出する人」であり、「色んな絵を発掘してみせる人」なのです。金銭的価値には無頓着で、たとえ貧困に襲われようと、むしろそのような状態が相応しく、ただ自分自身のみを財産とする。そして、ランプに火をともした後、自らは消えていくーーそんな存在であることを理想としていたようです。

 詩と言うと、少し取っつきにくいように思われる方もいるかもしれませんが、ディキンソンの作品は比較的分かりやすい方かと思います。世界の文学史に名を刻んだ孤高の天才詩人による秀作を、是非堪能してみてはいかがでしょうか。