ペルーが誇るノーベル賞作家
空中都市マチュ・ピチュやナスカの地上絵などで有名なペルー。南米の中では、ブラジルやアルゼンチンと並んで日本人に馴染みの深い国ではないでしょうか。
僕も大学時代、2012年2~3月にかけて南米を周遊した際、ペルーを訪れました。首都のリマだけでなく、インカ帝国時代の首都であり、マチュ・ピチュ観光の前哨基地となるクスコや、琵琶湖の12.5倍もの面積を誇るティティカカ湖沿岸のプーノなど、個性溢れる街々が印象的でした。
そんなペルー出身の作家で、2010年にはノーベル文学賞も受賞したのが、マリオ・バルガス・リョサ(1936~)です。受賞理由は、「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」というもの。今回は、まさに「権力への抵抗と敗北」がよく描かれている『マイタの物語』(水声社「フィクションのエル・ドラード」シリーズ、寺尾隆吉訳)を紹介します。
- 作者: マリオ・バルガスジョサ,Mario Vargas Llosa,寺尾隆吉
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 2018/01/25
- メディア: 単行本
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左翼運動家マイタの社会主義革命を描く
『マイタの物語』は、1958年に左翼運動家マイタが「社会主義革命」と称して山間部の小都市ハウハで起こした小規模な反乱を題材とした作品です。
当時はフィデル・カストロ(1926~2016)、チェ・ゲバラ(1928~1967)らによってキューバ革命が起こるなど、社会主義革命が現実味を帯びていた時代でした。アメリカは他の地域と同様、南米でも自国の後ろ盾によって成り立つ親米政権の拡大を志向し、それに対する反発は至る所で広がっていたのです。
本作では、マイタによる「革命」の約20年後、彼の古き学友であり、現在は作家として生計を立てている主人公が、マイタやハウハでの反乱に関係した人物を訪ねて、事件の真相を紐解いていきます。
物語は10章に分かれており、各章でマイタの叔母、マイタに反乱の計画を持ち込んだ男の妹、マイタが所属していた左翼系政治組織の元幹部、ハウハで反乱に加担した元学生といった人々にインタビューしていきます。
読み進めるほど情報が錯綜
ところが、それぞれの人が自己保身のために情報を隠していたり、単に勘違いをしていたり、記憶が曖昧になっていたりして、事件の全容はぼんやりとしか浮かんできません。
マイタがハウハで反乱を起こしたこと、犯行当日は予定していた人員が全く揃わずに計画が破綻したこと、最終的には反乱が即刻鎮圧されてしまったことなどは自明です。しかし、「なぜそうなったのか」という理由の部分や、事件に至るまでのマイタの心境の変化については、読み進めるほど分からなくなっていきます。
例えば、マイタが反乱を起こした動機について「議論だけでは飽き足らず、理想を追い求めて行動に走った」とする人もいれば、むしろ「当局側のスパイに成り下がり、左翼全体を反動政治の危機に陥れるため、故意に無謀な反乱を起こした」と罵る者もおります。
それどころか、「マイタは計画から除外されていて、中心的役割は全く果たしていなかった」と説く人までいる始末です。マイタとは一体何者なのか…。頭が混乱したまま次章へと進むしかありません。
反乱に参加する予定だった人々が当日現れなかった理由についても、意図的な裏切りがあったのか、参加予定者が怖気づいたのか、計画の情報共有不足か、様々な意見を聞くほど情報は錯綜。何が真実で何が嘘なのか、判断が付かなくなります。
ただ、そうしたサスペンス的な要素を盛り込みながらも、真相の究明自体は、実は本作にとって重要ではありません。むしろ、この小説では、真実が闇の中に葬り去られ、「誰も思い出せなくなっている」、もしくは「思い出すことを止めている」という状態こそ、描くべきポイントの1つなのです。
関係者から話を聞き、真実を構築しようとしても、もはやそれは不可能になってしまっている。彼らはなぜ権力に抵抗しようとしたのか、なぜそれが失敗したのか、今では誰も分からない。そこには、バルガス・リョサが作品の主題としてきた「権力への抵抗と敗北」が悲しいまでに厳然と描かれています。
真実を知った上で嘘を書く
『マイタの物語』で描かれる事件そのものはフィクションですが、バルガス・リョサは1962年、ペルーで実際に起こった反乱の記事を読み、本小説の着想を得たそうです。彼はこの作品を描くために様々な記事を集め、関係者に取材して、筆を進めていきました。そしてその過程を、そのまま小説にしてしまったのです。
あくまで『マイタの物語』は小説であり、ルポタージュではないため、バルガス・リョサは取材の内容をそのまま書いたわけではありません。作中で主人公の作家が何度も口にするように、彼は「真実を知った上で嘘を書いた」のです。
そしてこの作品では、主人公の作家がインタビューを行い、それに答えてもらう中で、20年前の様子も描かれます。つまり、「①現実世界でバルガス・リョサが実際に行った取材」を元に「②小説世界で主人公の作家が行う取材」が構成されているだけでなく、その中に適宜「③小説世界でマイタが20年前に取った行動」の描写シーンが差し挟まれてくるという具合です。
現在と過去が自由自在に交錯
現在と過去(上記の②と③)が頻繁に交錯する記述手法も、この小説の醍醐味です。明かな回想シーンなどで過去へと飛ぶ作品は多くありますが、『マイタの物語』では改行した次の瞬間には過去や現在へと飛んでおり、まさに自由自在。同じ段落内で、時空が移動する場合すらあります。
こうした手法を取ると、普通は読みにくくて仕方無くなるはずですが、本作ではそれが自然に行われているため、慣れてしまえば何の違和感も感じません。「あれ?」と思うのは、おそらく最初の1~2回程度でしょう。
こればかりは実際に読んでいただかなければ伝わりませんし、是非味わってほしい部分です。文章を通してしかできないことをするのが文学の役割。『マイタの物語』は、現実と創作、現在と過去の垣根を取り払うことで、それを見事にやってのけている作品と言えます。