長州藩の中心地、萩城/街全体が明治維新にまつわる史跡の宝庫

250年間に渡り長州藩の政庁

 幕末の歴史が好きな方なら一度は訪れたい街、山口県萩市。明治維新の原動力となった長州藩の本拠地として、幕末の志士ゆかりの建造物や石碑などが立ち並ぶ史跡の宝庫です。2015年には吉田松陰(1830~1859)の妹ふみ(後の楫取美和、1843~1921)の生涯を描いた大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台ともなりました。

 そんな萩にあって、長州藩の政庁として約250年間に渡り藩政の中心となったのが萩城です。現在は石垣や堀しか残っていませんが、城跡は指月公園として整備されており、歴史を感じられる名所として、萩観光においては外せません。f:id:eichan99418:20191027230609j:plain

 今回は、公益財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」にも指定されている萩城を、萩城下の史跡と合わせて紹介していきます。城へのアクセスや営業時間、「日本100名城」スタンプ設置場所など、基本情報のみ知りたい方は、最後の「まとめ」に記載しておきましたので、そちらをどうぞ!

長州藩藩祖、毛利輝元が築城

 萩城は1604年、毛利輝元(1553~1625)によって築城が開始されました。彼は戦国時代に中国地方の覇者として君臨した毛利元就(1497~1571)の孫にあたり、豊臣秀吉(1537~1598)の政権下では五大老の1人として重んじられた大大名です。その領土は8カ国112万石に及びました。

 ただ、1600年に徳川家康(1543~1616)と石田三成(1560~1600)が雌雄を決した関ヶ原の戦いにおいて、毛利輝元は西軍の総大将となったため、戦後処理で所領を周防と長門の2カ国30万石に減封されてしまいます。それでも、何とか改易を免れ、長州藩の藩祖となった毛利輝元が、広島城に代わる居城として新たに築いたのが萩城です。

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ありし日の萩城天守閣

 それから約250年間、長州藩の政庁であり続けた萩城でしたが、1863年に第13代藩主の毛利敬親(1819~1871)が海防上の理由により藩庁を山口城へと移したことで、萩城は藩政の中心から遠ざかりました。

 明治維新の後、1874年に廃城令が出され、建物は全て解体。本丸には高さ14.5mに及ぶ五層の天守閣がありましたが、これも例外無く崩されてしまいました。現在天守閣跡には、礎石のみが点々と残されています。

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現在天守閣跡には礎石のみが残る

史跡の宝庫、萩を堪能しよう

 萩を訪れた際には、萩城だけでなく、幕末・明治維新にまつわる史跡にも訪れることをオススメします。

 おそらく、萩の中で最も有名かつ重要な史跡は、吉田松陰が主宰したことで知られる松下村塾でしょう。「双璧」と謳われた高杉晋作(1839~1867)久坂玄瑞(1840~1864)をはじめ、維新回天に大きな影響を及ぼした人物を数多く輩出した同塾には、今なお訪れる人が絶えません。

 幕末の動乱を生き延びた門下生の中には、初代内閣総理大臣となった伊藤博文(1841~1909)、日本陸軍の基礎を築いた山縣有朋(1838~1922)など、明治政府の要職に就いて近代日本の発展を推し進めた人物も沢山います。

 驚くべきはその建物の小ささです。多い時には50~60名の生徒がいたと言いますから、その熱気は凄まじかったことでしょう。この中で若き日の元勲たちが侃々諤々の議論を繰り広げていたのかと思うと、心が揺さぶられます。f:id:eichan99418:20191027230832j:plain

 萩の城下町は、北の日本海に注ぐ2本の川に挟まれた中洲の上に立っています。萩城は中洲の北西部、こぶのように突き出た部分に築かれました。ちなみに松下村塾は、中洲の東側を流れる松本川を渡って少し行ったところにあります。
 この中洲の中央部あたりに位置するのが、城下町エリアです。ここには、天才的革命家であった高杉晋作の誕生した邸宅や、薩摩の西郷隆盛(1828~1877)、大久保利通(1830~1878)と共に維新三傑の1人に数えられる木戸孝允(桂小五郎、1833~1877)の旧邸が残っています。

 また、長州藩が全国に誇った藩校明倫館の跡も、この城下町にあります。2014年に新築移転するまで、この敷地内には明倫小学校の校舎がありました。明倫館で学んだ生徒としては、木戸孝允、高杉晋作の他に、初代外務大臣となる井上馨(1836~1915)、日露戦争における旅順攻囲作戦の指揮官として有名な乃木希典(1849~1912)などがおります。

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藩校明倫館跡

 その他、吉田松陰が投獄された野山獄跡や、長州藩が鉄製の大砲を製造すべく1856年に建設した萩反射炉など、萩はまさに史跡の宝庫。松下村塾を含むいくつかは、2015年に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産にも登録されています。明治維新の歴史を感じる旅先として、これほど適した場所はありません。是非一度訪れてみてください。

萩城まとめ    

①築城者
毛利輝元

②築城年
1604年

③住所
〒758-0057 山口県萩市堀内1-1

④電話番号
0838-25-1826(指月公園料金所)
0838-25-3131(萩市役所)

⑤営業時間
4月~10月:8:00~18:30
11月~2月:8:30~16:30
3月:8:30~18:00

⑥定休日
年中無休

⑦料金
大人:220円/小・中学生100円(旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と共通券)
団体割引(30名以上に適用)・・・大人:120円/小・中学生:60円
障がい者割引・・・大人:100円/小・中学生:50円

⑧アクセス
・JR山陰本線東萩駅から萩循環まぁーるバス(西回り)にて「萩城跡・指月公園入口 北門屋敷入口」下車徒歩5分

⑨駐車場
指月第一駐車場(無料):普通車51台、大型車2台

⑩日本100名城スタンプ設置場所
・本丸入口料金所