世界に衝撃を与えた無差別化学テロ事件
1995年3月20日、東京を走る5本の地下鉄車内に猛毒のサリンが撒かれ、13人が死亡、約6300人が重軽傷を負う事件が起こりました。正式名称「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」、通称「地下鉄サリン事件」です。
化学兵器を駆使した無差別同時多発テロ事件はそれまで類例が無く、しかもこれが「世界一安全」と謳われる日本の首都で発生したということで、全世界に衝撃を与えました。
犯行に及んだのは、麻原彰晃(松本智津夫、1955~2018)率いる宗教団体オウム真理教の信徒たち。関係者はほぼ全員が死刑または無期懲役に処され、死刑は2018年7月6日に執行されました。
この前代未聞の大事件に際し、第一線の作家として世界的な知名度を誇る村上春樹(1949~)が、被害者60人にインタビューしてその証言をまとめたのが、『アンダーグラウンド』(講談社文庫)です。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/02/03
- メディア: 文庫
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各路線ごとに膨大なインタビューを掲載
地下鉄サリン事件では、下記5本の列車にサリンの液体が撒かれました。どれも通勤ラッシュを狙った午前8時頃の犯行です。
・千代田線(我孫子発、代々木上原行)A725K
・丸ノ内線(池袋発、荻窪行)A777
・丸ノ内線(荻窪発、池袋行/折り返し)B701/A801
・日比谷線(中目黒発、東武動物公園行)B711T
・日比谷線(北千住発、中目黒行)A720S
揮発性の高いサリンはすぐに液体から気化して猛毒ガスとなり、上記の列車が停止した駅の構内にまで拡散。小伝馬町駅ではサリンの入った袋がホームに蹴り出されことも相まって、サリンが撒かれた列車には直接乗っていなくとも、何らかの形で地下鉄駅にいた数多くの人々に被害を及ぼしました。
『アンダーグラウンド』では、被害者へのインタビューを各路線ごとに分けて掲載することにより、列車だけでなく、霞ヶ関駅、築地駅、小伝馬町駅といったそれぞれの駅での状況が多角的に浮かび上がってきます。
その分量も膨大です。本書の大部分を占めるインタビューは、文章が上下2段組みとなっており、ボリュームも全780ページ近くに及びます。何と言っても60人分の証言録ですから、むしろよくこのページ数でまとめたものです。
「被害者」という括りを取り払う
インタビュー記事の構成としては、まず被害者の経歴や職業といった背景が簡単に説明され、そこに村上春樹のちょっとした所感も加えられます。その後、被害者が自身のことを語るパートに移りますが、そちらもやはり仕事内容や家族構成、住んでいる場所、日常の通勤時の様子などについて一通り聞いた上で、事件当日の様子を振り返ってもらうという形を取っています。
そのため、地下鉄サリン事件とは関係ありませんが、1995年当時の人々のリアルな生活がありありと浮かんでくるようで、興味深かったです。当然ながら、携帯電話が普及していないなど、描写の要所要所に時代観が現れておりました。また被害者のほとんどが、少しくらい苦しくても何とか会社に行こうと努力しているあたり、日本社会らしさが滲み出ていました。
本書の「可能な限り多くの被害者から話を聞く」という取り組みについて、村上春樹には明確な意図がありました。
被害者は、年齢や性別、出身地はもちろん、生きてきた背景も、事件に対する向き合い方も、何もかも違います。しかし、決して類型化できないはずの彼らは、「被害者」という枠組みで一括りにされがちであり、そうした流れに抗うため、村上春樹は本書の執筆を決意したそうです。
掲載被害者の多くは冷静さを保つが…
被害者証言における気付きとしては、実際被害に遭った当事者たちが、案外オウム真理教に対する怒り、憎しみなどを露わにはしていないことが挙げられます。多くが「怒りを感じる」とは発言していても、感情的になって「この手で殺してやりたい」といった言い方をする人はおらず、ほとんどの方が極めて冷静な態度を取っているように感じました。
もちろん、『アンダーグラウンド』に掲載されているのは60人で、これが全被害者の1%にも満たないことは考慮せねばならないでしょう。また、事件に対してそれなりに心の整理がついた方々がインタビューに応じているとも考えられるため、本書を根拠として「被害者の大部分が冷静に受け止めている」とは到底言えません。
しかし、自分の身に置き換えたとしても、自身が被害者になった場合より、家族が被害に遭った時の方が、怒りや悲しみは大きいだろうと感じました。自分自身のことであれば、自分の中で心の整理がつけば受け止められますが、配偶者や子どもが亡くなったり、重い後遺症が残ったりとなると、とても簡単に折り合いなど付けられず、やりきれない気持ちは一生残るでしょう。その方が、よほど感情的にならざるを得ないように思います。
恐るべき猛毒サリンの威力
時折差し挟まれる関係者の証言の中では、医師のものが特に興味を惹きました。
まず勉強になったのは、サリンが人体に及ぼす影響です。サリン中毒の本質は、コリンエステラーゼ値の低下にあります。これが起こると、筋肉を収縮させる命令が出されたままの状態となるため、簡単に言えば筋肉が動かなくなって身体が麻痺してしまうのです。
その結果、瞳孔が動かなくなって縮瞳が起こる他、症状が酷いと手足が動かずに歩けなくなってしまいます。被害者の多くが中毒になった瞬間、明るいところでも暗く感じたり、立ち上がれなくなったりしたのはこのためです。最悪の場合、舌や喉が動かないので、「物を食べられない」「呼吸できない」といった状態に陥り、死に至ります。
本書を読んでいると、サリンの毒性の強さに戦慄せざるを得ません。サリンが撒かれた車内や、その列車が止まった地下鉄の駅構内にいた人間はもちろん、ほんの少し小伝馬町駅の入り口に近付いただけの人も傷害を負ってしまいました。
サリン中毒の後遺症も大小様々です。植物状態に陥った方もおりますし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)から仕事を続けられなくなった事例もあります。そこまで酷くはない場合でも、多くの人が記憶障害、慢性的な頭痛、極度の集中力低下などに悩まされることとなりました。また、「急に歳を取ったように感じる」という言葉が散見される通り、運動するとすぐに疲れてしまい、疲労感がなかなか抜けないといった症状も、多くの被害者が訴えています。
ちなみに、オウム真理教が精製したサリン液は、サリン濃度35%程度という純度の低いものでした。それでもこれだけの被害が出るのですから、恐ろしい限りです。
救急病院の合理的な対応についても目からウロコでした。こうした大規模災害の場合、まず大切になるのが軽症者と重症者の選別です。大量の患者がいる中で軽症者と重症者を混同して診ていては、助かるはずの重症者が亡くなってしまいますから、まずは迅速に重症者を見分け、優先的に処置していくことが求められます。
考えれば至極当たり前の話ですが、未知の病気の場合、軽症と重症の分水嶺が分からず、対応が遅れるケースも多いようです。したがって、あらゆる病気に対してそうした知識やノウハウを蓄積しておくことの重要性を学びました。
オウム真理教が拒んだ日本の社会構造
なぜオウム真理教は、こうした前代未聞の無差別テロに走ったのでしょうか。村上春樹は、1995年当時の報道が「世論=正義vsオウム真理教=悪」という安易な二項対立に陥っていたことを指摘し、それでは問題の根本的解決には繋がらないと説きました。
オウム真理教は、自分たちが自律的な思考・行動を確立しようとしている時に、それを国家権力が「反社会的行為」と断定して抑圧してくることにアンチテーゼを唱えています。したがって、「オウム真理教=悪」という範疇に押し込めようとするほど、彼らとしては自分たちの理論に正当性がある証拠となってしまうのです。
彼らは結果的に大量殺人に走ったため、人道的見地からして確実に断罪されるべきです。そこに異論の余地はありません。ただ、社会的に「常識」とされる道を少しでも踏み外すと、見えない同調圧力がかかる日本の社会構造に対して、否定的に捉えているという一点に絞るのであれば、あながち理解できなくはないのです。
誰もが、両親や教師、知人友人、その他いわゆる「世間体」と呼ばれる見えない圧力のために、何かやりたいことを諦めた過去を多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。
オウム真理教の最大の誤りは、そうした圧力に対抗する手段として、「情熱や努力によって自身の夢を切り拓く」という方向には進まず、テロという手段に訴えて社会構造自体の破壊を目論んだ点にあります。
もっとも、麻原彰晃が高潔な人物で通っていたのならば、まだ「狂気の革命家」といった具合に「高邁な理想を掲げるあまり道を踏み外した」との感が強まりますが、彼自身は私利私欲の塊のような人間であったようです。
一例として、少年時代から金銭に対する執着が強く、友人たちを恐喝しては金を巻き上げていたと言います。また「尊師」と呼ばれるようになってからも、立場を利用して100人もの愛人を抱えるなど、とても宗教的指導者とは思えない欲望にまみれた存在でした。これでは、心の底から社会変革を唱えて行動した歴史上の革命家たちとは比較するのも憚られます。
オウムとナチズムの類似点
それでも、麻原彰晃の下に多くの信者が集まったことは事実です。「それは洗脳されていたからだ」と一口に言われますが、洗脳とは「する側」だけでなく「される側」からの歩み寄りも無くてはなりません。
これはまさに、ナチス・ドイツに多くの人が傾倒していった社会構造について著書『自由からの逃走』で説いたドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロム(1900~1980)の論理と同じものです。
この著作でフロムは「人々が選択の自由を手に入れた結果、どのような進路を取るべきか自分自身で判断できなくなり、結局は自由を放棄して、方向性を示してくれる人物や権力に安易に従うようになる」という逆説的な精神構造を説いています。自由「への」逃走ではなく、自由「からの」逃走というタイトルが示唆的ですね。
- 作者: エーリッヒ・フロム,日高六郎
- 出版社/メーカー: 東京創元社
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- メディア: 単行本
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19世紀までは職業や社会的身分が固定化されていましたが、自由主義時代の到来によって、自身の手で人生を選択できるようになりました。一方、それは多くの人が「自分で考えることを強いられるようになった」とも言い換えられます。その結果、思考することを苦に思った人々が、誰かが自分の代わりに考えて道を示してくれることを望み、その思考停止がナチズムへと陥るきっかけになったのです。
オウム真理教の事例でも、洗脳されてしまった信者の多くは、自分の存在が空虚であることを悟った時、人生の意味を自分の手で獲得しようともがく努力を止めて、周りから意味を与えてもらうことを選んだのです。
村上春樹はそれを「他者の物語に同化する」と表現しています。麻原彰晃の唱えた物語が強烈であったため、人はそれに吸い寄せられてしまったわけです。したがって、オウム真理教のような勢力が跋扈することを防ぐ短期的な対策としては、彼らとは別の「物語」を立てなければなりません。また、より長期的な対策としては、月並みではありますが、「自分で考える」人間を作る教育が重要ということになるでしょう。