ローマ人の物語(22)/皇帝ウェスパシアヌス、帝国を衰亡から救う(上)

衰亡の危機を向かえたローマ帝国

 歴史作家、塩野七生による大長編『ローマ人の物語』(新潮文庫)全43巻を紹介していくこのコーナー。前巻では「暴君」と言われた第5代皇帝ネロ(37~68、在位54~68)の死後、たった1年の間に目まぐるしく入れ替わった3人の皇帝たちを描きました。

 この時期のローマ帝国は「内乱状態」にあり、帝政が始まって以来の危機を迎えていました。そのまま帝国が衰亡の一途を辿ってもおかしくないという状況下で登場し、混乱の収拾と国家の再建を行ったのが、第9代皇帝のティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス(9~79、在位69~79)です。

 今回は、ローマ帝国の象徴的建造物「コロッセオ」の建設をはじめとする、彼の業績について見ていきましょう。少々長くなってしまったため、上下の2回に分けてお届けします。

ローマ人の物語 (22) 危機と克服(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (22) 危機と克服(中) (新潮文庫)

叩き上げの軍人ウェスパシアヌス

 ネロの死後に立った3人の皇帝のうち、最後に王座に就いたアウルス・ヴィテリウス・ゲルマニクス(15~69、在位69)は、自身に敵対した人々への過酷な処置が仇となり、人心を失いました。彼に反発した兵士たちによって擁立されることとなったのが、ウェスパシアヌスです。

 ウェスパシアヌスはイタリア中部のレアテ(現リエーティ)にて、貴族の次に位置する騎士階級の子息として生まれました。首都ローマではなく地方都市に生まれ、名門の出身でもなかった彼は、軍隊に身を投じ、その中で出世を重ねていきます。そして、第4代皇帝クラウディウス(B.C.10~54、在位41~54)によるブリタニア(現イギリス南部)遠征で頭角を現しました。

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第9代皇帝ウェスパシアヌス

 ローマ帝国が「内乱状態」に陥った時、ウェスパシアヌスはネロの命を受け、ユダヤ属州にて勃発した反乱の鎮圧を行っている最中でした(=通称ユダヤ戦争)。当初は最高権力者が次々と入れ替わるのを静観していたウェスパシアヌスでしたが、自身が皇帝に推挙されると、周到な計画のもと、王座への道を歩んでいきます。

なぜ自らローマに攻め上らなかったのか

 ウェスパシアヌスには、その皇帝就任を力強く支えた2人の協力者がいました。シリア属州の総督であったガイウス・リキニウス・ムキアヌス(生没年不詳)と、エジプト長官のティベリウス・ユリウス・アレクサンドロス(生没年不詳)です。

 彼らとの的確な役割分担は、見事と言うほかありません。まず、ムキアヌスは国防のために最低限必要な軍勢だけを残し、シリアからイタリアに向かって西進します。続行中のユダヤ戦争は、ウェスパシアヌスの長男で父親と同姓同名のティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス(39~81)が引き継ぎ、これをユリウス・アレクサンドロスが補佐。そして、ウェスパシアヌス本人はエジプトにて待機することとなりました。

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 この分担には、様々な意図が込められています。ウェスパシアヌス自身がヴィテリウスを討つ先頭に立たず、エジプトに腰を据えたのには、①次期皇帝となる人物の手が同胞の血で汚れるのを避けるため②長男ティトゥスがユダヤ戦争で苦戦を強いられた際にすぐ駆け付けられるため③ローマ帝国における小麦の生産量の3分の1を産出するエジプトを確実に手中に収めておくため、といった理由がありました。

 加えて、エジプトはイタリア半島に近いので、いざという時にはすぐに首都ローマに乗り込むことができます。また、ウェスパシアヌスが跡を継がせようと考えていた長男のティトゥスに実戦を経験させておく絶好の機会でもありました。

 ウェスパシアヌスたちは来る戦いに備え、兵士の募集、武器や金貨・銀貨の鋳造、東の隣国であるアルメニアとパルティアに向けた友好関係の確認などを行いました。こうした動きを受け、エジプト、ユダヤ、シリア、小アジアといった各地の軍団がウェスパシアヌス支持を表明。あとはヴィテリウスを追い詰めるのみとなったのです。

怠惰なる皇帝ヴィテリウス

 ウェスパシアヌスが着々と天下を取る準備を整えている間、ヴィテリウスは何の対策も打たずに過ごしていました。名門貴族の出身ではなく、叩き上げの軍人であるウェスパシアヌスが帝位を欲するなど、想定していなかったのかもしれませんが、それにしても油断しすぎていた感があります。

 彼はイタリア北部のベドリアクムにて第7代皇帝マルクス・サルウィウス・オトー(32~69、在位69)を破った後から、気が緩みっぱなしでした。首都ローマまで最短3日の距離を行軍するのに費やした時間は、なんと50日。これは、毎夜祝宴を開きながら進んだためです。

 統制の取れていない6万人の軍勢が好き勝手に首都ローマを目指した結果、経由地となった街々は強奪や破壊の憂き目に遭いました。この大兵力はそのままローマに入り、居座ったため、市民たちは大迷惑。それにも関わらず、皇帝ヴィテリウスは一切の“政治”をしないまま時を過ごしたのです。

ドナウ軍団、宿願の復讐を果たす

 この間に、ムキアヌスはシリアからイタリアへと西進を続けていました。ただ、ここで想定外の事態が発生します。ドナウ川に沿って構築されていた防衛線を守る軍団が「打倒ヴィテリウス」を掲げ、ムキアヌスとの合流を待たずにローマへの侵攻を開始したのです。

 この「ドナウ軍団」は、前皇帝のオトーに率いられてヴィテリウスの軍勢と戦い、ベドリアクムで一敗地にまみれた兵士たちでした。その後、ヴィテリウスから奴隷のような扱いを受け、恨みは骨髄にまで染み渡っています。ウェスパシアヌスの勢力が優勢と見た今、居ても立ってもいられず、有力な指揮官もいないまま動き出してしまったのでした。

 これには流石のヴィテリウスも迎撃の態勢を取ります。ただ、自身は出陣せず、配下の武将に戦闘を任せました。

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第2次ベドリアクムの戦い

 こうして「ドナウ軍団」とヴィテリウス軍は激突。戦場となったのは奇しくも、約半年前にヴィテリウスとオトーが戦ったベドリアクムでした。この「第2次ベドリアクムの戦い」に勝利した「ドナウ軍団」は首都ローマに雪崩れ込み、皇帝ヴィテリウスへの復讐を成し遂げます。

 このまま軍隊の暴走に歯止めがかからず、混沌状態の再来かと思われたその時、ついにムキアヌスがローマに到着しました。彼は瞬く間に事態を収拾し、ウェスパシアヌスが首都入りするまでの間、皇帝の代理として行政を司ることになります。

内憂外患を解決してローマ凱旋

 実は、この一連の動乱の隙を突く形で、ローマ帝国の北方(現ドイツ西部やオランダあたり)では反乱が起こっていました。

 ゲルマン民族の1つ、バタウィ族のガイウス・ユリウス・キウィリス(生没年不詳)が、周辺の部族を糾合し、「ガリア帝国」の創設を宣言したのです。彼の戦略によって、ローマ軍は痛手を被り、ライン川沿いに敷かれていた防衛線は完全に崩壊しました。

 一時はガリア(現フランス)全土がゲルマン人とガリア人に奪われる可能性もありましたが、首都ローマに入って内戦を終結させたムキアヌスが派遣した武将により、形成は逆転。最終的にはキウィリスの蜂起から1年も経たずして、この反乱は鎮圧されることとなります。

 また、東方で続いていたユダヤ戦争も、ウェスパシアヌスの長男ティトゥスによってイェルサレムが陥落したことで、終結に目処がつきました。ウェスパシアヌスはここに至って初めて、「凱旋将軍」としてローマに入ったのです。

 次回は、皇帝ウェスパシアヌスが帝国を再建するにあたって行った施策の数々を見ていきます。

次回へつづく)