ウェスパシアヌスの国家再建策とは
内戦状態にあったローマ帝国を衰亡の危機から救った第9代皇帝ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス(9~79、在位69~79)。前回は、彼が帝国内外の混乱を収拾し、名実ともに皇帝の座に就くまでを描きました。
今回は、満を持してローマに入ったウェスパシアヌスが採った国家再建策について紹介していきます。
- 作者:七生, 塩野
- 発売日: 2005/09/28
- メディア: 文庫
約25年ぶりの国勢調査で歳入増に繋げる
ウェスパシアヌスの皇帝としての責務は、内戦と反乱によって疲弊したローマ帝国の再建でした。そのためには資金が必要となりますが、ネロの浪費にはじまり、続く3人の皇帝も財政のことなど考えていなかったため、国庫には余裕がありません。そこでウェスパシアヌスは、様々な増収策をとりました。
まず彼が行ったのは、各家庭の経済力を正確に把握するための国勢調査です。これは、47年に第4代皇帝クラウディウス(B.C.10~54、在位41~54)が実施して以来、26年ぶりのことでした。
その間、ローマ帝国では混乱期こそあったものの、国家としては経済成長を続けていたため、総じて国民は経済的に豊かになっていました。したがって、“正しく”徴税を行うだけでも増収に繋がったのです。
また同様に、国が耕作地として農民に貸し付けている国有地の面積も、厳密に計測し直しました。農民の中には、借りていない国有地も勝手に耕して自身の収穫を増やしていた者が多くいたため、その分の借地料をしっかり払ってもらうことで、歳入を増加させました。
「金は臭わない」と公衆トイレに課税
ウェスパシアヌスが導入したユニークな税金として有名なのが、公衆トイレに対する課税です。と言っても、公衆トイレの利用者から税金を取ったわけではありません。
彼は、公衆トイレにて集めた尿を有料で販売したのです。1世紀当時、羊毛から油分を洗い流すのには、人の尿が使われていました。そこでウェスパシアヌスは、「公衆トイレに溜まった排泄物」の専売特許を国のものにしたわけです。
これには庶民から「皇帝はなんてケチなんだ!」との声が上がりました。長男のティトゥスも「流石にやり過ぎではないでしょうか」と反対意見を述べましたが、ウェスパシアヌスは息子の鼻先に公衆トイレで稼いだ金貨をかざし、「この金は臭うか?臭わないだろう。これは公衆トイレへの課税によって稼いだ金なのだがな」と言ったそうです。この「金は臭わない」は、金銭には貴賎がないことを示す有名な文句となりました。
ちなみに、この逸話から、ラテン語を起源とする言語の諸国において、ウェスパシアヌスは「公衆トイレ」を表す一般名詞となっています。例えば、イタリア語では「vespasiano」、フランス語では「vespasienne」、スペイン語では「vespasiana」という具合です。
庶民に極力影響が及ばぬよう、安易に消費税や所得税の税率を上げることなく、財政を立て直すための工夫を凝らしたウェスパシアヌス。彼の努力は、当時の民衆ではなく、後世の歴史学者によって高く評価されることとなりました。
コロッセオの建設を命じる
ウェスパシアヌスは財政再建以外にも、後世に影響を与える施策をいくつか行っています。
例えば、ガリア(現フランス)やヒスパニア(現スペイン)といった属州出身者でも、実力のある人材は貴族に列して重用。その中には、ユダヤ戦争を戦い抜いた武将マルクス・ウルピウス・トラヤヌスもいました。
彼の息子は、後に五賢帝の1人として、ローマ帝国史上最大の領土を現出することとなるトラヤヌス(53~117、在位98~117)です。
また、緊縮財政を貫いたウェスパシアヌスが唯一、巨額の費用を使って建設させたのが、今やローマの象徴的建造物となっているコロッセオです。それまでも、25万人を収容できたチルコ・マッシモ(戦車競技場)はありましたが、収容人数をあえて5万人程度に抑えたコロッセオには、皇帝が行事に出席した際、民衆と最高権力者との距離を近づける効果がありました。
元老院による弾劾権を奪った皇帝法
ウェスパシアヌスを語る上で述べておかねばならないのが、彼が創案した「皇帝法」です。これは、元老院が「現皇帝は不適格だ」と考えても、弾劾することを不可能とした法律でした。
ウェスパシアヌスとしては、数年前にネロが元老院から「国家の敵」と宣告され、自死を選ぶしかなくなった事実を教訓として、この法律を作ったのでしょう。しかし、この皇帝法が成立したことにより、合法的に皇帝の専横を止める術が失われてしまいました。
これ以降、「現皇帝は不適格だ」とされた際、その排除のためには「暗殺」という手段が採られることになります。そして皮肉にも、ウェスパシアヌスの息子が、その最初の犠牲者となるのですが、それはまた次回紹介しましょう。
ユーモアに溢れた皇帝
皇帝の権力を絶対的なものとする法案を提出したウェスパシアヌスですが、彼自身は強権的な皇帝ではありませんでした。公衆トイレに課税した際の、ティトゥスへの返しからも分かる通り、ユーモアに溢れた人物だったようです。
彼は死期を悟った時にも、そのユーモアさを忘れませんでした。なんでも、「かわいそうなオレ。神になりつつあるようだよ」と呟いたそうです。ローマ帝国の皇帝は逝去した後、神格化されるのが慣例となっていました。ウェスパシアヌスはそれを踏まえ、自身の命がもう長くないことすら、冗談にしてみせたわけです。
ローマ帝国が陥った混乱を見事に収拾したウェスパシアヌスは、10年の治世を経て、その生涯を閉じました。そして帝位は、彼の息子たちへと引き継がれていくことになります。
(次巻へつづく)