脱・資本主義が地球を救う?/斎藤幸平『人新世の「資本論」』(前編)

環境問題を解決する唯一の方法とは?

 現在、人類全体の共通課題となっている気候変動問題。「人間による活動の痕跡が地表を覆い尽くした時代」という意味の「人新世」なる言葉が生まれるほど、人類は地球に対して多大な影響を及ぼしており、それによって遠くない将来、この星には人が住めなくなる可能性もあります。

 各国の政府、国際団体、企業などが様々な対策を講じていますが、そう易々と成果が出るほど甘くはありません。そんな中、人類が破滅を避けるための解として1つの選択肢を示すのが、昨今世界的な注目を集めている哲学者、斎藤幸平氏の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)です。

 ご存じの方も多いと思いますが、書名にある『資本論』とは、社会主義経済の提唱者であるカール・マルクス(1818~1883)の主著です。マルクスの研究を続けてきた著者は、「特に晩年のマルクスの思想が、現代社会が抱える多くの問題を克服する際のヒントになる」と説き、「資本主義経済からの脱却こそ、地球環境問題を解決する唯一の方法である」と主張します。それはすなわち、「経済成長をやめて新たな社会システムに移行する」ということです。

 一般的に「社会主義」と言うと、ソビエト社会主義共和国連邦(1922~1991)の崩壊によって失敗が明らかになった過去の遺物のように感じる方も多いかと思います。また、現在も「社会主義」を標榜している中国や北朝鮮といった国々はすべて一党独裁の国家であり、その政治体制に良いイメージを抱く人は少数派でしょう。

 しかし、社会主義の始祖であるマルクス自身が理想としたのは、ソ連のように「強大な国家権力によって統制された経済」ではなかったようです。では、マルクスが目指した社会システムとはいかなるものだったのか。それがどのように気候変動問題の解決に繋がるのか。本書の論旨を追いながら、詳しく見ていきましょう。

『人新世の「資本論」』の目次

第一章 気候変動と帝国的生活様式
第二章 気候ケインズ主義の限界
第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つ
第四章 「人新世」のマルクス
第五章 加速主義という現実逃避
第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う
第八章 気候正義という「梃子」

気温上昇で東京も水没の危機

 本書において、まず前提として取り上げられるのは、気候変動の切迫度合いです。これはあえて書かずとも、調べればいくらでも世界中の事例が出てくるでしょうが、身近なところで、日本で発生するとされる現象の一部を記しましょう。

 平均気温が今よりも2℃上がると、海洋の生態系がこれまで以上に乱れ、漁業に大きな損害が出ます。夏には熱波が各地を襲い、農作物が獲れなくなるそうです。また台風は巨大化し、被害総額が1兆円を超えるような豪雨に毎年悩まされるようになります。

 さらに、平均気温が今よりも4℃上がると、海面上昇によって東京や大阪といった大都市も含む沿岸地域が浸水し、1000万人に害が及ぶと言われています。溶け出した氷河の中から放たれた細菌やウイルスが、新たなパンデミックを起こす可能性も否めません。

資本主義こそ気候変動の元凶

 さて、この気候変動を食い止めるためには、その元凶を明らかにして、対策を講じねばなりません。そうした中で著者は、「環境破壊を引き起こしている張本人は資本主義である」と喝破します。

 実際に産業革命以降、二酸化炭素の排出量は、人類の経済活動の進展とともに増大し続けてきました。特に1945年に第二次世界大戦が終結してから、その傾向は顕著となり、1989年に冷戦が終わると、さらに加速します。

 人類が歴史上で使用してきた化石燃料の半分は、冷戦の終結以降に燃やされました。産業革命が起きたのは約250年前ですから、私たちは直近の30年数年で、それまでの200数十年分と同じ量の化石燃料を燃やしたことになります。

 社会主義の「敗北」によって資本主義が全盛期を迎え、先進国を中心とする各国が競うように経済成長を追い求めたことが、地球環境に大きな負荷を強いていったのです。

環境問題に対する最も穏健な解

 改めて説明しましたが、「気候変動が僕らの生活に危機をもたらしつつあること」「その要因が資本主義下の過度な経済成長であること」については、既にいかなる立場や考え方の人も、危機感の多寡はあれ、事実として理解しています。昨今、「地球環境など無視して経済成長すべきだ」と声高に主張する人はいません。

 環境問題の解決策として、化石燃料を少しずつ減らして「脱炭素」を推進しつつ、経済成長との両立を図ろうというのが、「気候ケインズ主義」です。これは、「大きな政府」による公共投資で需要を生み出し、景気を刺激して経済を回すことを訴えた経済学者ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946)の主義に、環境対策のための投資を掛け合わせた考え方で、気候変動問題に対する最も「穏健な」解と言えます。

 具体的には、太陽光発電などの再生可能エネルギー、電気自動車、二酸化炭素の地下貯留といった技術に投資を行って普及を促し、地球温暖化の速度を和らげつつ経済成長も実現しようという試みで、おそらく誰もが聞き覚えのある環境対策でしょう。ここのところ様々な場面で耳にするSDGs(持続可能な開発目標)やESG投資も、この考えを反映しています。

 こうした一連の政策は、1930年代にアメリカ合衆国の第32代大統領フランクリン・ルーズベルト(1882~1945)が世界恐慌からの脱却を期して行った「ニューディール政策」の名を冠して、「グリーン・ニューディール」とも呼ばれています。

“グリーンな”経済成長は幻想?

 しかし著者は、この「気候ケインズ主義」では環境問題の解決にならないどころか悪影響だと斬り捨てます。

 先述の通り、「気候ケインズ主義」による施策は、あくまで資本主義という枠組みの中で経済成長することを前提としています。ただ、「経済成長をする=これまでよりも多くのものを生み出す」わけですから、その分のエネルギーを新たに消費するということにほかなりません。

 太陽光発電施設や電気自動車をどんどん作ることで、一見“グリーンな”経済成長が可能なように思えますが、現時点で世界のエネルギーの実に85%が化石燃料(石炭、石油、天然ガス)由来であることを考えれば、経済成長するというだけで環境には大きな負荷がかかるのです。言わば、“グリーンな”経済成長のために化石燃料が燃やされるという矛盾が生じることになります。

 もちろん「グリーン・ニューディール」の政策は、再生可能エネルギーの割合を増やし、ガソリン車を撲滅することで、従来よりも気候変動を遅らせることができるはずです。「気候ケインズ主義」の人々は、そうして「地球滅亡までの猶予期間」を延ばしながら、経済成長も推進しようと考えています。

 一方、そのような「猶予」は残されていないというのが、著者の主張です。彼は「グリーンか否かに関わらず、経済成長する(=今よりも多くのエネルギーを消費する)限り、気候変動危機は防げない」と説きます。環境破壊を止めるためには、絶え間ない経済成長と利益の獲得を第一の目的に据える資本主義システム自体をやめ、大量消費社会に終止符を打つ必要があるというのです。

 著者が「気候ケインズ主義」を非難する理由は、もう1つあります。この考えに基づく環境対策が支持を集めると、人々が「これで問題は徐々に解決している」と誤解して自己満足に陥り、その裏で実際には危機がさらに深まっていく可能性があるためです。「気付いたときには、既に取り返しのつかない段階まで来ている」という事態を、彼は危惧しています。

科学技術はすべてを解決するのか

 学者の中には、むしろ資本主義による経済成長をどんどん加速させることで科学技術の発達を促し、それによって環境問題を解決すれば良いという「加速主義」を掲げる人々もいます。「食糧難ならば人工肉を製造しよう」「電力はすべて太陽光発電でまかなおう」「希少な資源は地球の周りにある小惑星から採掘してこよう」といった具合です。

 ただ、これは「気候ケインズ主義」以上に楽観的だと言わざるを得ません。やはり経済成長を大前提としているため、必要な技術が生み出され、かつ誰もが使えるレベルまで普及する前に、地球が滅んでしまう可能性は高そうです。

 この星にまだまだ余力があるのならば、経済成長を求めつつ、「気候ケインズ主義」や「加速主義」を通じて、環境負荷の低い暮らしへとソフトランディングできるのかもしれません。しかし、もはや僕たちには、そのように悠長にしている時間は残されていないようです。

 では、著者は気候変動問題に対してどのような解を提示するのか。中編では、僕たちが目指すべき社会の在り方についてまとめます。