脱経済成長か、世界の破滅か/斎藤幸平『人新世の「資本論」』(後編)

 世界的な注目を集める哲学者、斎藤幸平氏の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)。未曾有の気候変動に際し、人類が破滅を避けるための解として1つの選択肢を提供しています。

 中編では、社会主義経済の提唱者であるカール・マルクス(1818~1883)が暴いた資本主義の弊害について見ていきました。利益の拡大を最優先事項とする資本主義では、「人にとって必要不可欠かどうか」よりも「金が儲かるかどうか」を軸に商品や職業が選ばれるため、社会が歪んでいくという主張です。

大衆は資本主義に懐疑の目を向けている

 環境問題にとどまらず、行き過ぎた資本主義が様々な矛盾を引き起こしていることは、僕自身も肌で感じています。例えば、2022年4月23日に北海道の知床で起きた観光船沈没事故も、「より多くの利益を上げたい」という考えが根底にあったことで発生したものでしょう。

 格差も信じられないくらい広がっています。世界で上位26人の資産家が、貧困層38億人(世界人口の半数)の総資産と同じだけの富を持っているというのですから、驚くばかりです。「資本主義の推進によって社会全体の富が増大し、それを再分配することで格差が縮小する」という考えは、幻想なのではないかと疑いたくもなります。

 実は、こうした問題意識を抱いている方は、少なくないはずです。2021年にNHK大河ドラマの題材として渋沢栄一(1840~1931)が選ばれたのも、象徴的だと感じます。彼は「日本資本主義の父」と呼ばれていますが、著書『論語と算盤』において、経済感覚(=算盤)と同時に倫理観(=論語)の重要性を訴えました。道徳なき過度な「儲け主義」を諫めているのです。

 また現在、岸田文雄首相が「新しい資本主義」を唱え、「小さな政府」を基調とする「新自由主義」との決別を印象付けようとしているのも、国民の抱く「資本主義への懐疑」を敏感に察知してのことではないでしょうか。

転売ヤーの跋扈から国際紛争まで解決?

 確かに、資本主義を捨てて、「過度にお金を持っていても意味がない社会」に移行すれば、様々な問題を解決できるかもしれません。

 例えば、利益を得るためだけに希少価値の高い商品を購入して高値で売りさばく「転売ヤー」は行動原理を失います。金を受け取る意味がなくなれば、汚職もなくなるでしょう。それどころか、資源や権益を奪い合ったり、武器を売ったりする必要がなくなるため、戦争や紛争も激減させられる可能性があります。格差を是正し、人類が「最大多数の最大幸福」に近づく布石ともなるでしょう。

 ただ、「資本主義から転換して脱成長を目指した場合、具体的にはどのような社会になるのか」という未来像と、そこに至る道筋については、僕の理解力不足もあり、正直あまり実感が湧きませんでした。著者は、世界で実際に行われている「脱成長」の取り組みについて具体的に記していますが、いざ自分ごととして考えたときに、あまりにも架け橋がないと感じる方は多いと思います。

 そんな中でも著者は、人々が相互扶助を行うコミュニティを作ることを提唱しており、個人としては「有機農業に挑戦する」「自治体の地方議員を目指す」「環境NGOで活動する」といった草の根の運動から始めていくことが必要だと言いますが、なかなか道のりは遠そうです。

 もちろん、個々人が地球環境を意識して行動を起こすのは素晴らしいことですし、有意義だと思います。著者も実例を出しながら、「3.5%の人が本気で動けば世界は変わる」と説いています。「資本主義以外に社会を動かすシステムは考えられない」と決めつけるのは思考停止でしょう。

脱成長と地球滅亡、どちらを選ぶか

 とは言え、脱成長に舵を振り切った場合のデメリットも考えなければなりません。例えば、国の安全保障をどうするのかという問題があります。

 ロシアによるウクライナ侵攻を見ても分かる通り、国防には莫大なお金がかかります。当然、わざわざお金と労力をかけて人命を奪ったり破壊活動を行ったりする戦争は、人類の行動の中で最もナンセンスですが、その論外な行為を世界中で繰り広げているのが人間という生き物です。国民の命を守るべく有事に備えるにはお金が必要で、そのためには税収を確保せねばならず、資本主義経済から脱却するのは難しいでしょう。

 命の奪い合いにまでは発展せずとも、人間の本質が「欲望の塊」であることは歴史が証明している周知の事実です。その「本性」を抑制するのは至難の業でしょう。たとえ資本主義に矛盾を感じていたとしても、ほとんどの人は大量生産・大量消費の生活スタイルから抜け出すことができないように思います。

 もっとも本書では、「資本主義が終わるよりも先に、地球がなくなる」という有識者の言葉が紹介されている通り、著者は「脱成長と地球滅亡、あなたはどちらを選ぶのか」という論調なので、「できるか否かという議論をしている場合ではない」との立場です。それに気付かず、戦争など繰り返しているようでは、人類は滅亡への道を辿るのが関の山だということでしょう。

「資本主義をやめれば、科学技術の発達といった人類の進歩が滞る」との批判に対して、「その『進歩』を遂げるために地球が滅びては元も子もないのではないか」と著者が反論するのも、同じ論理です。

 そうなると、「資本主義を続けられるか否か」という議論は「地球滅亡へのカウントダウンがどれほど近くまで迫っているのか」という論点に帰結します。多くの人は、(おそらく無意識に)「地球が滅びるまでにはまだ猶予がある」と思っているからこそ、「軟着陸」の案である「気候ケインズ主義」を支持するのでしょう。

世界を俯瞰する新たな視点を提供

 ここまで本書の主張をまとめてきましたが、前編でも述べたように、気候変動が今後、これまで以上に「右派か左派か」「富裕層か貧困層か」といった区別なく、誰もが影響を受ける問題になっていくのだけは間違いありません。これに対して僕たちはどう向き合うべきか。本書が現代社会に対する新たな見方を提供してくれるのは確かです。

 この記事で紹介した内容は、そのほんの一部に過ぎず、書き切れなかった論点も多くあります。各論には具体的な事例や数値的な根拠が豊富に散りばめられてもいますので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。

 気候変動問題に関心がある方や、行き過ぎた資本主義に対して危惧を抱いている方はもちろん、「生きづらい世の中だと感じる」「何のために仕事をしているか分からなくなることがある」「格差社会に対して疑問を持っている」といった方にもおすすめです。是非、一度手に取って読んでみてください。