分子生物学者が“生命の不思議”を丁寧に解説/福岡伸一『新版 動的平衡』

日常の疑問に分子生物学者が答える

 大人になると、なぜ時間が経つのを早く感じるようになるのか。効率の良いダイエット方法はないものか。コラーゲン配合の食物を摂ると、本当に肌の張りが戻るのか――。

 こうした日常的な疑問に生物学者の立場から答えつつ、「生命の定義」に至るまで分かりやすく解説してくれるのが、福岡伸一氏の著した『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(小学館新書、以下『動的平衡』)です。

 福岡氏は分子生物学の第一人者。著書『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)が65万部を超えるベストセラーとなりましたので、こちらの書名をご存じの方は多いかと思います。

 今回紹介する『動的平衡』は、生物学に馴染みの薄い方でも楽しみながらスラスラと読み進めることができ、誰もが陥りやすい勘違いや、ちまたで流布している思い込みを科学的見地から正してくれるので、目から鱗です。

『動的平衡』の目次

プロローグ 生命現象とは何か
第1章 脳にかけられた「バイアス」
第2章 汝とは「汝の食べた物」である
第3章 ダイエットの科学
第4章 その食品を食べますか?
第5章 生命は時計仕掛けか?
第6章 ヒトと病原体の戦い
第7章 ミトコンドリア・ミステリー
第8章 生命は分子の「淀み」
第9章 動的平衡を可視化する

 今回は、個人的に本書の中でも興味深かった論点を取り上げます。当然ながら、『動的平衡』の中では、この記事よりも詳細な解説がなされているほか、ここには書き切れなかった別の論点が多く扱われていますので、以下の内容を面白いと感じた方は、是非とも本書を手に取ってみてください。

大人になると時間経過が早くなる?

 多くの方が「大人になって時間が経つのを早く感じるようになった」と言います。この現象について、分子生物学の観点からはどのような考察がなされているのでしょうか。

 世間では「3歳の子どもにとって、1年はこれまで生きてきた全人生の3分の1だが、30歳の大人にとっては30分の1だから、相対的に早く感じるようになる」とよく説明されます。しかし、福岡氏曰く、これは科学的に全く根拠のない解答だそうです。

 では、この現象の真因とは何か。それは「タンパク質の新陳代謝速度が加齢とともに遅くなるから」。この代謝速度は言わば体内時計の秒針であり、人は歳を取るごとに、むしろ実際の時間よりも体内時計が示す時間の方が遅れていくことになります。

 つまり、もし時間の経過を測れる器具が何もなく、昼夜すら分からない部屋で人が暮らすと、1ヶ月(あるいは1年)が経ったと体内時計が自然に感じるまでの時間は、年齢とともにどんどん長くなっていくのです。

 反対に言えば、実際には1年経った段階でも体内時計は「まだ半年かな」などと短く見積もっていることになり、結果として1年が早く感じられるという現象が起こるとのことでした。

「太りにくい食べ方」は存在する

 ダイエットをしている方にとって不可欠なのが、「摂取カロリーを減らし、消費カロリーを増やす」という考え方です。要するに「食べ過ぎに注意しながら、運動する」ということですね。

 運動は、筋トレをすることで筋肉量を増やして基礎代謝を上げつつ、ジョギングなどの有酸素運動を通じて脂肪燃焼を行うのが定石。一方、食生活については「食べる量を減らす」以外にどのような改善方法があるのでしょうか。本書にて取り上げられているのは、そんな「ダイエット時の食事」に関する有用な知識です。

 僕自身は本書を読むまで、「運動をする以外の方法でダイエットをするには、食事の絶対量を減らすしかない」と思い込んでいましたが、福岡氏は「物事はそう単純ではない」と説きます。どうやら、カロリーの摂取量と増加する体重は、いかなる場合でも一次関数的な相関関係にあるわけではないようです。

 例えば、「1000kcal分の食事を一度に食べると100gの体脂肪がつく(=体重が増える)」と仮定しましょう。この場合、10分の1の100kcal分を食べると10gの体脂肪がつきそうなものですが、実際には2g程度しかつかないといいます。

 したがって、100kcal分の食事を別々の時間帯に10回食べ、最終的に合計1000kcalを摂取しても、増える体重は2g×10回=20g程度で済むそうです。

 つまり、同じ量のカロリーを摂取しても、一気に食べた場合と小分けにして少しずつ食べた場合では、体脂肪となる割合(体重の増え方)が大きく異なるため、ちびちび食べた方が太りにくいというわけです。

GI値に注目すべき理由

 こうした現象が起こる背景には、人間の体の構造があります。

 食べ物を一気に食べると、血糖値が急激に上昇し、インシュリンという物質が大量に放出されます。それが命令となって脂肪細胞がしっかりとエネルギーを貯め込んだ結果、僕らは太るのです。反対に、インシュリンがなるべく出ないようにだましだまし食べれば、同じカロリー相当を食べても太りにくいということになります。

 だからこそ、食事の際には少しずつ食べた方が良いわけですが、食べ物の中にもインシュリンが出やすいもの・出にくいものが存在します。

 ここで登場するのが、よく耳にする「GI値」です。これは、その食品がどれほど血糖値を上昇させるか(=インシュリンを放出させやすいか)を数値化したもの。したがって、この数値が小さな食べ物を摂った方が太りにくいということができます。

 ダイエットをされている方は既にご存知でしょうが、初耳という方は普段よく食べているもののGI値を調べてみてください。Googleなどで「GI値」と検索すれば、様々なサイトに載っています。

コラーゲンは直接補給できない

 ダイエットに並んで美容も、最近では男女問わず、注目している方が多い分野です。福岡氏はここでも、「よくある誤解」について指摘しています。

 ちまたには「コラーゲン配合」を謳った食品が溢れていますよね。しかし、肌の張りを取り戻すために「コラーゲンを多く含んでいる」と銘打たれた食べ物をたくさん摂っても、それがそのまま自身のコラーゲンに置き換わることはないそうです。

 食べ物から摂取されたタンパク質は、一度アミノ酸へとバラバラに分解されて体内に取り込まれ、全く新しいタンパク質に再合成されます。したがって、タンパク質の一種であるコラーゲンを摂取しても、そのほとんどが別のタンパク質になってしまい、コラーゲンを直接的に補給することにはならないのです。

 ただ、コラーゲンが分解される際に一部は「コラーゲンペプチド」というアミノ酸になり、これがコラーゲンの再合成を促進するため、一概に「コラーゲンを摂取しても全くの無駄である」とは言い切れないようです。

 また、「コラーゲン配合」と書かれた化粧品がありますが、これもあくまでコラーゲンがヒアルロン酸やグリセリンとともに一時的な保湿成分として活用されているだけで、コラーゲンが肌から吸収されることはありえないそうです。

 この「コラーゲンを含んだ化粧品を肌に塗り込んでも、体内のコラーゲンが増えるわけではない」との旨は、資生堂やドクターシーラボといった大手化粧品メーカーの公式サイトにも明記されています。

北里柴三郎を救った福澤諭吉

 僕は歴史が好きなので、本書において言及されていた北里柴三郎(1853〜1931)に関するエピソードも興味深いものでした。

 北里がベルリン大学で研究生活を送っていたときのこと。日本ではある論争が繰り広げられていました。全身の倦怠感や手足の痺れなどが起こる「脚気」を巡り、細菌(脚気菌)が原因だと唱える派閥と、栄養素の不足によるものとする派閥が対立していたのです。

北里柴三郎

 北里は母校である東京大学の教授が主張する「脚気菌」説に対して、実験の不備を指摘し、「発見したという菌は脚気菌ではない」と異を唱えます。それは結果としては正しかったのですが、「母校や恩師を裏切った」とみなされ、北里は帰国後に「干される」こととなりました。

 苦境に陥った北里を救ったのは、あの福澤諭吉(1835〜1901)。福澤は私立伝染病研究所を設立し、北里をその初代所長に迎えます。北里はここでペスト菌の発見を始めとする偉大な業績を上げることとなるのです。

北里に倣って職員全員が辞表を提出

 さて、話はここで終わりません。大正時代に入り、伝染病研究所が東大に合併されることになると、北里は即座に所長を辞します。自分のことを無下に扱った母校に対して信用が置けなかったのかもしれません。

 驚くべきは、この際に志賀潔(1871〜1957)ら伝染病研究所の職員全員が北里に従って一斉に辞表を提出したことです。よほど人望が厚かったのでしょう。

 北里は私費を投じて北里研究所を設立し、研究を続けます。そして最終的には慶應義塾大学医学部の創立に尽力し、初代学部長にまで就くのです。こうした逸話から察するに、北里柴三郎(新千円札)は福澤諭吉(現一万円札)に頭が上がらなかったことでしょう。

福澤諭吉

 ちなみに、前述した脚気の真因はビタミンB1の欠乏なのですが、1900年頃には「脚気菌」を原因とする派閥が主流で、それを唱えていたのが陸軍軍医の森鷗外(1862〜1922)だったとの説が流布しています。

 この説は「証拠史料が不十分」として否定する方もおりますので、何とも言えませんが、もし事実だとしたら「弘法も筆の誤り」ということになるでしょう。鷗外は、炭疽菌、結核菌、コレラ菌を発見して「近代細菌学の父」と呼ばれる医師ロベルト・コッホ(1843〜1910)に心酔していたようなので、彼への崇敬によって目が曇っていた可能性はあります。

遺伝子工学やiPS細胞に関する議論も

 ここまで個人的に興味深かった論点を取り上げてきましたが、冒頭でも記した通り、これらは内容の深さも幅も、『動的平衡』に書かれている事項のほんの一部です。

 上記以外にも、「遺伝子組み換え食品の是非」、「iPS細胞で可能なことと不可能なこと」、「ミトコンドリアDNAを調べると何が解明されるのか」など、この記事では語り尽くせないほど豊富な議論や逸話が本書には詰まっていますので、興味のある方は是非とも手に取ってみてください。