日本三大ドヤ街に数えられる「寿町」
皆さんは「寿町」という地名をご存じでしょうか。横浜市中区に位置し、横浜中華街、横浜スタジアム、元町、山手(洋館が並ぶ歴史地区)といった観光名所から目と鼻の先にある一角で、ドヤ街として知られています。
念のために説明をしておくと、ドヤ街とは簡易宿泊所(ドヤ)が集まっている地区のこと。「ドヤ」とは「宿」の読みを逆さにした言葉で、基本的に日雇いで働く人々が住んでいることから、ドヤ街は「日雇い労働者が多く住む街」と定義されている場合もあります。
寿町は東京の山谷、大阪の西成とともに、1960年代以降「日本三大ドヤ街」と呼ばれてきました。横浜に住む方に「寿町」について尋ねると、昔から在住している方ほど「危ないから近寄らない方が良い」といったネガティブな意見を持つことが多いでしょう。実際、僕もそのように教えられた経験があります。
おそらく、「日雇い労働者は正規の職業に就けないような何らかの問題を抱えた人間が多く、酒飲みや荒くれ者の割合も高い」といった勝手な偏見が、治安や風紀の悪さを連想させている面があるのでしょう。素性の知れない人間が密集して住んでいるため、少なくとも昭和の頃に「犯罪者が逃げ込んで隠れやすい街」であったことは確かなようです。
しかし、現在の寿町は本当にそのような危険な地区なのでしょうか。その実態に迫るのが、ノンフィクション作家の山田清機氏が書いた『寿町のひとびと』(朝日文庫)です。
文庫版のための新話 寿町ニューウェイブ
第一話 ネリカン
第二話 ヘブン・セブンティーン
第三話 愚行権
第四話 キマ語
第五話 沖縄幻唱
第六話 帳場さん二題
第七話 さなぎ達
第八話 刑事
第九話 寿共同保育
第一〇話 山多屋酒店
第一一話 寿生活館
第一二話 人間の謎
第一三話 白いズック靴
第一四話 お前は何者か
ホームレス、居酒屋店主、警官まで取材
本書は書名の通り、寿町に関わる人々への聞き込みを元にしたルポルタージュです。ドヤに住んでいる方々はもちろん、ドヤを経営しているオーナー、現地の子どもたちの保育に携わる人々、ホームレスを支援している団体、寿町の交番に勤務していた警察官、老舗居酒屋の店主など、様々な背景を持つ人物への取材に基づいて、寿町の様相を多面的に描いています。
登場人物がどのような人生を歩んできて、いつ、どのようにして、なぜ寿町に関わることとなったのか、丁寧かつ分かりやすく書かれており、興味深いエピソードも豊富なので、読んでいて全く飽きることがありません。
正直、僕はちょっとした好奇心から本書を手に取りました。前述の通り、横浜に長く住んでいる方から「中華街付近を散策する際には寿町に立ち入らないように」との忠告を受けたことがあり、「どんなところなのだろうか」という怖いもの見たさのような心情があったのです。
読み進めていくと、自分が思っていた以上に多種多様な人々が住んでいることが分かりました。中には想像を絶するような人生を送ってきた人物もおり、考えさせられる逸話もありました。ここではその中から印象的なものを掻い摘んで紹介しましょう。
生活保護費でゲーム三昧の20代男性
寿町にも高齢化の波が押し寄せ、住民の6割は高齢者だそうですが、中には若者もおります。本書で取り上げられていたうちの1人は、生活保護費で暮らす20歳過ぎの男性でした。
彼は月額13万円の生活保護費でドヤの宿泊費を支払いつつ、余ったお金でゲーム機とソフトを購入してゲーム三昧の日々を送っています。生活が苦しくなると、一旦ゲーム機を売ったお金で凌ぎ、翌月の保護費が入金された時点ですぐにまたゲーム機を買い直すことを繰り返しているようです。
当然、ゲーム機は高く買って安く売ることになりますので、そのたびに損失が出ているわけですが、「少しの間ゲームを我慢してお金を貯め、生活に支障が出ない範囲でゲーム機を購入して、これを半永久的に保有する」という長期的な視点を彼は持ち合わせていません。とにかく、「今ゲームをしたい」という刹那的な欲望に忠実に生きていると言えるでしょう。
無一文になるまでゲームを止められない
この男性は元々、現在とは別のドヤに住んでいました。そこでは宿泊費に食事代も含まれていたのですが、対人関係を築くのが苦手な男性はドヤの食堂でほかの住人と一緒に食事をすることができません。別途の食費をかけて外で食べるようになった男性は、食事代が「天引き」されるドヤのシステムに不満を抱きます。
結局男性はドヤを飛び出して、ネットカフェを転々とすることにしました。生活保護費では日々の食費とネットカフェ代を賄えませんが、それでもなおゲームを止めることはできなかったと言います。
では、男性はどうしたのか。彼はお金がなくなるたび、自身の体を売ったり、それも叶わなければ無一文で路上生活をしたりして凌いで、最終的には現在のドヤに流れ着いたのです。そこまでしてもゲームがしたいと思えるのはある種の才能ですが、一般的には「依存症」ということになるのでしょう。
ギャンブル狂いでホームレスに
依存症と言えば、酒やギャンブルから抜け出せなくなった人々も何人か取り上げられています。
そのうちの1人は、70代になる元畳職人の男性(故人)。すぐにカッとなる性格で、幼い頃から素行が悪かったという彼は、先輩と喧嘩をして職場を追われたり、妻の浮気相手をアイスピックで刺したり、勤め先の社長の車に灯油を撒いたり、コンビニの商品を棚からぶちまけたり、スナックで食い逃げしかけたり――と何度も警察のお世話になってきました。ただ、よくよく読んでみると、この男性の人生を狂わせた本質的なきっかけはギャンブルと酒であることが分かります。
また、ギャンブルにのめり込んだ末、消費者金融(いわゆるサラ金)にまで手を出してお金を返せなくなり、妻子とも別れてホームレスとなった男性も登場しました。最近では大谷翔平選手の通訳であった水原一平氏の違法賭博事件に衝撃を受けましたが、やはりギャンブルには恐ろしい魔力があるようです…。
世界保健機関(WHO)によると「依存する対象の優先順位が何よりも高くなり、自身の健康、家族や友人との人間関係、仕事における立場などが悪化することも厭わない状態」が依存症の特徴だそうです。はたから見れば「きっぱり止めれば良いのに」と思ってしまいますが、そうした正常な論理的思考力が失われてしまう点が、この病気の怖いところなのでしょう。
父は不法滞在、母は覚醒剤中毒患者
ここまでの事例とは反対に、寿町の住民の中にはどう考えても理不尽な境遇の人もいました。中でも憤りすら覚えたのは、ある少女の逸話です。
彼女の父は不法滞在のフィリピン人で、母は覚醒剤の中毒患者でした。母は覚醒剤の所持と使用によって刑務所に入れられては、出所して再び覚醒剤に手を染めることを繰り返しており、少女は過度のストレスから中学時代には頻繁にリストカットをしていたと言います。
それでも母のことが好きだった少女は、刑期を終えて出所する母を迎えるためにお金を貯めるべく、高校を中退してアルバイトを始めようとしていました。しかし、無理が祟って生活が乱れたので、よく眠れるように睡眠薬を摂取したところ、その量が過剰で急死してしまったのです。彼女が亡くなった当日、母はまだ刑務所におり、父は不法滞在で出入国在留管理庁(入管)の施設に収容されていました。
この絶望的な状況下で、少女の願いを叶えるにはどうするのが正解だったのでしょうか。懸命に生きようとしていた10代半ばの若者がこのような形で命を落とすとは、あまりに残酷で本当に胸が痛みます。僕は「親ガチャ」という言葉は好きではありませんが、このような現実から目を背けることなく、社会システムの至らぬ部分を変えていかねばならないでしょう。
外国籍に厳しい日本の法制度
日本人とアメリカ人のハーフで、フリーの翻訳家として働いていた男性の事例も不憫でした。
男性は真面目に働いていたのですが、あるとき大家の都合により、入居していたアパートを立ち退かなければならなくなりました。当然、彼はすぐに転居先のアパートを探しましたが、米国籍という理由で次々に断られてしまいます。そうこうしているうちに、運悪く仕事を回してくれていた翻訳会社の社長が急逝。男性は働く気概も能力もありながら、無職になってしまったのです。
こうなると、いよいよアパートを探すのは難しくなります。不動産屋は就労を証明する書類を要求しますが、就労するには定住先の住所が必要となるので、堂々巡りとなってしまうのです。
最終的に男性は貯金を使い果たし、ホームレスとなります。そうした中でも彼は図書館に通い、翻訳の腕が衰えないよう努力を続けていたそうですから、働く機会が与えられてしかるべきだったように感じますが、ついに翻訳の仕事には就けませんでした。
その後、男性はホームレスの就労を支援する施設に入り、寿町のドヤへと流れ着きました。ただ、取材当時の段階で再就職はできていません。
まず、再就職に必要なビザを取りに行くと、職員から「ビザを取るよりも帰化した方が早い」と冷たく言われたそうです。別の担当者に替わるとビザは下りたものの、やはりどうしても面接まで漕ぎ着けることができません。「理由はおそらく、住所が寿町であるため」と男性は推察しています。
ちなみに、給料の振り込みのために銀行口座を開設しようとした際も、男性は国籍を理由に断られてしまいました。どうやら「社会保障番号と納税者番号がなければ、外国籍の人間には口座を開かない」というルールがあるようです。
こうした外国籍の人々への制限は、日本人の雇用を守るための障壁となっているのだとは思いますが、上記のようなエピソードを聞くと、複雑な気持ちになりました。
「他人からの評価」に囚われず生きる
さて、寿町に住む人々の事例を紹介してきましたが、本書ではこの記事に書き切れなかったもっと多くの方の人生が、より詳細に描かれています。
意外に思われるかもしれませんが、寿町に住んでいる人々の中には、現状の生活に満足しているように見える方もおります。彼らは往々にして常識から逸脱しており、社会的な評価や栄達とは無縁ですが、それは裏を返せば、僕たちが無意識に囚われている様々な固定観念に縛られることなく生きているとも言えるでしょう。
例えば、資本主義社会で暮らしていると、「お金があればあるほど幸せである」という錯覚に陥りがちです。もちろん、お金はあった方が選択肢は増えますが、あくまで自己実現の一手段であり、必ずしも幸福度やQOLと相関関係にあるわけではありません。それは、高い年収を得ながらストレスで鬱病を発症したり、自ら命を絶ったりする人が少なくないことからも明白です。
貯金や年収額、職業、住んでいる場所、子どもの有無などによって人間の価値を判断する人が相当数いるのも事実ですが、そうした「他人からの評価」に縛られることなく、本当の意味で「自由に生きる」のは素晴らしいことだと僕は思います。
当然それにもお金はかかりますが、その場合はあくまで「自分自身が」必要なだけのお金があれば済むわけです。僕は「人からどう思われるか」にこだわらず、現状よりも働く時間を削って年収を「減らした」方が、幸福度が向上する人は多いのではないかとさえ感じています。
本書では、そのような「既存の価値観に縛られない生き方」をしている人々について知ることができて有意義でした。また、この記事ではあえて書きませんでしたが、横浜中華街、元町、山手にほど近い「横浜の一等地」にドヤ街が形成された背景についても分かりやすく説明されておりますので、そうした歴史に興味がある方にもオススメです。