カフカ好き必見!イタリアの鬼才が放つ幻想文学の代表作

現代イタリア文学の鬼才

 読書好きでなくとも、フランツ・カフカ(1883~1924)の名前を聞いたことがない方は稀でしょう。代表作『変身』と共に、世界的に有名な作家として知られ、ファンも多いと思います。

 そうしたカフカの世界観に惹かれる方にオススメしたい小説が、イタリア人作家ディーノ・ブッツァーティ(1906~1972)の書いた『タタール人の砂漠』(岩波文庫)です。

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

  ブッツァーティは「イタリアのカフカ」の異名を持ち、現代イタリア文学の鬼才と称されています。1958年にはイタリア文学最高の賞であるストレーガ賞を受賞しました。そして、そんな彼の代表作『タタール人の砂漠』は「20世紀幻想文学の古典」と呼ばれています。

何か起こりそうで、何も起こらない

『タタール人の砂漠』では、主人公ドローゴが「タタール人が攻めてくる」という言い伝えのある辺境の砦で、無為にその人生を浪費していく様が描かれます。本来ならば、さっさと転任を志願して栄達を掴むべきところなのに、その機会が訪れると、なぜか砦に居残りたくなってしまうのです。

 タタール人?そんなもの攻めてきません。戦闘シーン?皆無です。ドラマチックな出来事など、何一つ起きはしない。それでも彼らは、いつかタタール人が攻めてきて、辺境に追いやられて忘れ去られた自分たちが栄光を手に入れる逆転劇があると信じて、砦に居残り続ける。そしていつの間にか、多くの年月が流れて去っていくのです。f:id:eichan99418:20190322023211j:plain
 1つでもカフカの著作に触れたことのある方がこの作品を読むと、似た雰囲気を感じつつ、より読みやすい印象を受けるかもしれません。

 例えば、カフカの書いた未完の長編小説『城』では、主人公の測量士Kが、城からの要請を受けてわざわざ現地に出向くのですが、どうやっても城に辿り着くことができないという内容が本筋となっています。あらゆる手を尽くして入城を試みても、なぜか絶対に入れません(笑)。

 何か起こりそうで、何も起こらない。まるで夢でも見ているかのような、不条理に縛られて身動きの取れない感覚こそ、カフカの描く世界観と一番似ている点ですね。

不条理を前にしながらも生きる

 ブッツァーティが『タタール人の砂漠』を通して何を伝えようとしたのかは、本人に聞かなければ分かりません。「特に深い意図を持たず、ただ書きたいから書く」というのが文学の本質でもあるのですが、この作品を読んでいると人生について考えさせられます。

「本当に今のままの自分でいいのか」「もっと別の道があるのではないか」「いや、もうこの道を引き返すことなどできない」…このように、絶えず自分自身の存在理由を自問自答し、悩み、試行錯誤を繰り返しながら生きていくのが人間です。

 たとえ不条理が立ちはだかっても、前に進むしかない。だからこそ『タタール人の砂漠』のドローゴは見えない敵の襲来を待ち続け、『城』のKは様々な方法で何とか城内に入ろうとするのでしょう。

主人公は「人生」そのもの

 世界を見渡せば、生きるのに精一杯という人々がいることも事実ですが、そうした最低限の欲求が満たされると、大抵の人は「生きる目的」を求め始めます。これはおそらく、時代や地域に関係の無い、普遍的な現象でしょう。

 特に現代では、職業選択の幅が広がったことで、反対に自分が何をして生きていけば良いのか漠然とした不安に駆られる人も多いのではないでしょうか。そして、そのように悶々とした感情を抱えながらも、何となく日々を送っていった結果、「気付けば数十年が経ってしまった」ということは往々にしてあります。

『タタール人の砂漠』は1940年の発表ですが、自身の存在意義について葛藤しながら生きていく人々の「人生そのもの」をよく捉えているように思います。そうした意味では、「人生」というもの自体がこの小説の主人公と言えるかもしれません。