露呈した資本主義の“限界”/斎藤幸平『人新世の「資本論」』(中編)

 世界的な注目を集める哲学者、斎藤幸平氏の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)。未曾有の気候変動に際し、人類が破滅を避けるための解として1つの選択肢を提供しています。

 前編では、「気候変動が僕らの生活に危機をもたらしつつあること」「その要因が資本主義における過度な経済成長であること」を改めて確認。「気候ケインズ主義」や「加速主義」を取り上げつつ、そうした経済成長を求める資本主義を前提とする考え方では、気候変動問題を解決することはできないという著者の主張を紹介しました。

地球環境問題を予言していたマルクス

 資本主義の論理で世界が回っている限り、地球は破滅へと向かってしまう。ここで登場するのが、著者が研究を重ねてきたカール・マルクス(1818~1883)です。社会主義経済の提唱者として、世界史上の超重要人物と位置付けられています。

 マルクスの主張としてよく取り上げられるのが、「生産力至上主義」です。1848年に書かれた『共産党宣言』の内容を簡単にまとめると、次のような流れになります。

 資本主義が発展すると、可能な限りの利潤を上げたい資本家に駆り立てられた労働者たちによって、多くの商品が生産される。しかし、低賃金で搾取されている労働者は、自分たちの生産した商品を買うことができない。こうして最終的には過剰生産に陥り、経済恐慌が発生する。この影響で失業し、さらに困窮した労働者たちは一致団結。ここに社会主義革命が起こる――という具合です。

 そこで若き日のマルクスは、あえて生産力を増強していくことこそ、革命を起こす近道であると説きました。しかし現実には、資本主義は幾多の恐慌を乗り越えながら発展を遂げていきます。予測が外れたマルクスは、徐々に考え方を変容させていきました。

 著者は最新の研究に基づき、『資本論』を始めとするマルクスの著作はもちろん、手紙なども含む膨大な一次史料も読み解くことで、晩年のマルクスが『共産党宣言』の時代から大きく思想を変えていたことを突き止めました。そこで浮かび上がってきたのは、地球環境問題の観点から資本主義の限界を説くマルクスの姿です。

自らの矛盾を隠す資本主義の“悪癖”

 なんと晩年のマルクスは、資本主義の進展によって環境危機が訪れることを予言していました。彼が強調したのは、資本主義が利潤の追求によって起こる矛盾を別の場所へと「転嫁」し、問題を不可視化して先送りにする性質を持っているということです。

 転嫁には技術的転嫁、空間的転嫁、時間的転嫁の3種類があります。それぞれ具体例を交えながら説明しましょう。

 技術的転嫁は、資本主義によって起こる環境危機を科学技術によって乗り越えようとする手法です。マルクスが取り上げたのは、農業における土壌疲弊の問題でした。

 資本主義が発達し、都市と農村が分離されると、農村で収穫された作物の大部分が都市で消費されるようになります。すると、人々に消化された作物の養分は、排泄物としてそのまま捨てられてしまい、農地には還元されません。

 また、農場の経営者は短期的な収益を第一に考えるため、地力を回復させる休耕よりも、連作を推進します。こうして農村の土壌はどんどん疲弊していきました。

 ここで登場したのが、科学技術で生まれた化学肥料です。これによって、痩せてしまった土地でも作物を育てられるようになり、農場経営者は潤いました。しかしその裏では、土から流出した化学肥料が地下水を汚染し、富栄養化による赤潮を引き起こしていたのです。

 それでも大衆は、大きさが均一で廉価な農作物を求めるため、化学肥料は農家に必要不可欠なものとして定着し、さらに環境を汚染していきました。土壌疲弊という環境問題を科学技術によって「転嫁」した結果、別の矛盾が湧きあがった事例です。

国民の命より輸出用のアボカドを優先

 次の空間的転嫁は、より分かりやすいと思います。ここでは現代の南米チリで起きている事例を紹介しましょう。

 チリでは、「森のバター」と呼ばれ、ヘルシーな食材として先進国で人気の高いアボカドを多く生産しています。アボカドは1kg分を育てるのに2000リットルもの水が必要な上、土壌内の養分を吸い尽くしてしまうので、アボカドを作った後の農地では他の作物の栽培ができません。彼の国では、国民の生活用水や、人々が生きていくために本当に必要な穀物の生産を犠牲にして、アボカドを作っているのです。

 2019年、気候変動の影響で、そのチリを大干ばつが襲いました。さらに、2020年からは新型コロナウイルスの感染も拡大します。しかし、貴重な水はコロナ対策として衛生面の向上に使われることなく、「金になる」輸出用のアボカド栽培に回されました。チリでは水道が民営化されているため、より利益を稼げる方へと売られてしまったのです。生活用水が不足して困る家庭が続出しても、アボカド栽培用の水が足りなくなることはないと言います。

 先進国でアボカドを食べている人々は、その消費行動によって生じる矛盾を、別の場所(この場合ではチリ)に転嫁しているわけです。しかし、その結果としてこのような惨事が起きていることを意識する人はほとんどいないでしょう。

子どもたちにボロボロの地球を残すのか

 最後の時間的転嫁は、まさに今進行している気候変動の問題が当てはまります。こうしている間にも、大気中の二酸化炭素濃度はどんどん高まっていますが、それによって瞬時に気温が上がり、海面が上昇するわけではありません。気候変動は着実に進んでいるものの、その歩みはすぐ目に見えるわけではないのです。

 もし「たとえ東京が水没するとしても、それが100年後ならば構わない。限界まで経済成長を続けよう」と考えるならば、それこそ資本主義によって生じる矛盾を未来に「転嫁」していることにほかなりません。そのツケを払うのは、これから生まれてくる子どもたちということになります。

 そこまで露骨でなくとも、「自分が生きている間に苦労することはないだろう」との考えは時間的転嫁に当たりますし、「日本で暮らしている分には、大した影響はない」と考えるならば、それは空間的転嫁です。

 こうした理由から著者は、環境問題を解決するためには、一刻も早く矛盾だらけの資本主義システムから脱却し、「経済成長しなければならない」という固定観念から解き放たれる必要があると主張しています。

「金になるかどうか」が第一の資本主義

 資本主義からの脱却にあたって著者が説く方策の一つが、本当に必要不可欠なものに主軸を置いて生産していく経済への転換です。

 あらゆるモノには「商品としての価格」「人にとっての有用性」という2つの「価値」が存在します。それらが均衡を保っているのならば良いのですが、利益が最優先される資本主義下では、往々にして「有用性」以上の「価格」が付けられる傾向にあります。

 例えば、普段の生活を送る中で「正確な時間を確認する」という有用性だけを考えるならば、身に着ける腕時計はG-SHOCKでもロレックスでも同じです。むしろ、電波機能のあるG-SHOCKの方が使い勝手が良く、時間も正確かもしれません。しかしご存じの通り、価格帯としてはロレックスの方が何百倍も高い。それはひとえに、ロレックスの希少性とブランド力の賜物です。

 資本主義下では「人にとって有用かどうか」よりも「金になるかどうか」が優先されるため、本当に必要不可欠なものの生産が軽視される場合があります。まさに前述したチリの事例がそれに当てはまるでしょう。彼の国では「必要不可欠な」穀物ではなく、「高く売れる」アボカドが優先して作られているわけです。

 資本主義における第一目的は利益の獲得ですので、極論を言えば、「商品が売れさえすれば、あとはどうなっても構わない」ということになります。たとえ商品がすぐに捨てられようが、大量生産・大量消費によって環境が破壊されようが、儲かればそれで良いのです。

 もちろん現在は、そのようなことを公言すれば四方八方から批判の声が飛んでくるのは避けられません。しかし、だからこそ、ブランドイメージを傷付けないために「仕方なく」環境対策を行っている企業も少なくないのではないでしょうか。その場合、あくまで「対策しないことで非難に晒され、かえって自社の利益が損なわれるのを防ぐ」のが目的であり、そこに「地球環境への真剣な憂い」はないわけです。

 内心では「地球環境などお構いなしに商品を生産・販売したい」と考えている会社が多いからこそ、消費者に対して環境に良い企業だという「印象」だけを与えつつ、実は対策を怠っている「グリーンウォッシュ」が問題となるのです。

コンサルも広告も投資銀行も要らない

 資本主義社会では、商品と同じように、人々が職業を選ぶ際にも「人にとって有用かどうか」より「高い給料がもらえるかどうか」が優先して考えられます。

 現在高給を取っている業界と言えば、コンサルティング、広告、金融などでしょうか。日本で言えば、安定志向も相まって、東証プライム上場企業の人気が高いかと思います。

 奇しくもコロナ禍で、社会基盤を支えるために必要不可欠な「エッセンシャルワーカー」に注目が集まっていますが、そうした職種は低賃金のため、身を投じる人が少ないのが現状です。

 資本主義から脱却すれば、「いかにしてより多くの利益を出すか」をアドバイスするコンサルティングは不要になります。人々に消費を促すことで大量生産・大量消費社会を後押ししている広告も、「お金を増やす」という目的でお金を動かしている投資銀行も必要なくなるというのが著者の考えです。

 資本主義下では合理性が追求されますが、それはあくまで「どうすれば効率良く金を儲けられるか」の合理性であり、人々の生活にとっては不合理となることも多々あります。消費者が広告を見た結果、「欲しくもなかった不要な商品を買う」「存在すら知らなかったスマホゲームで時間を浪費する」というのも、卑近ながら一つの事例でしょう。

 こうした社会の在り方を根本から変え、「人間が生きていく上で本当に必要な商品とサービス」を中心に据えれば、過度な生産・消費が収まって経済は減速し、気候変動問題は確実に解決へ向かっていくと著者は語ります。

 ただ、資本主義からの脱却など本当にできるのか。仮に可能な場合、どのようなメリット・デメリットが生じるのか、後編では見ていきたいと思います。