文章で比喩を使う際に注意すべき3つのこと

ガラスのような銃!?

 文章を書く時、「~のような」といった比喩を使いたくなることがあるでしょう。描きたい対象物のイメージを読者に共有する際、比喩には一定の効果があります。

 ただ、比喩は使い方を間違えるとイメージが伝わらなかったり、誤解を生んでしまったりもしますので、注意が必要です。

 例えば、「ガラスのような銃」と言われてピンと来る方はあまりいないでしょう。「え、壊れやすいってこと?」「透明な銃なの?」「撃ったら衝撃で割れちゃいそう!」という具合に、皆さん、色々と想像を膨らますのではないでしょうか。

 今回はこうした混乱を防ぎ、効果的に比喩を用いて、自身のイメージを適確に伝える上で重要なポイントを見ていきます。お時間の無い方は最後の「まとめ」だけでもどうぞ!

比喩は主観的な表現

 まず、比喩を使う際に意識しなければならないことは、「比喩には必ず書き手の主観が入ってしまう」ということです。

 例えば、「わたあめのような雲」という表現がされている場合、その書き手が「雲」に対して「わたあめ」のイメージを重ねていることが暗に示されています。そして、作者の自我が表に出てくれば、必然的に他の人の認識との間に齟齬が生じてきます。

 仮に「わたあめ」に対するイメージが全ての人の中で100%一致しているならば、誰もが浮かんでいる雲を同じように想像できるでしょう。ただ、そうした認識の整合率に100%はありえません。もし、作者が「ふんわりと浮かぶ雲」を表現したかったとしても、正しく伝わらない人が出てきます。

 わたあめに対してベタベタしたイメージしか持っていない人は、ネバネバした気色の悪い雲を想像するかもしれませんし、幼少の頃に夏祭りで買ってもらったわたあめがピンク色をしていた人は、桃色の雲だと思うかもしれないのです。

 とは言え、おそらく「わたあめのような雲」という表現をすれば、大多数の人が「ふんわりと浮かぶ白い雲」を思い浮かべることでしょう。それは、多くの人が抱く「わたあめ」に対するイメージの整合率が比較的高いからです。

「AのようなB」と書く場合、Aには主観が差し挟まれざるを得ない。だからこそAの部分には、一般常識と照らして可能な限り誰もが同じイメージを抱くであろう言葉を使わねばならないのです。f:id:eichan99418:20190414231233j:plain

対象物のイメージを固定する

 さらに、「AのようなB」のAとBはイメージとして結び付きやすい言葉同士であることも求められます。なぜなら、たとえAに対するイメージが複数存在する場合でも、Bのイメージと結び付くことで、Aのイメージを固定することが可能だからです。

「わたあめ」の例の場合、「ふわふわしている」「白い」「ベタベタすることがある」「甘い」「1日経つとしぼんでしまう」といった数多くのイメージがあります。しかし、「雲」と結びついたからこそ、「ふわふわしている」「白い」というイメージが選択され、人々は「ふわふわした白い雲」を思い浮かべるのです。

 反対に、前述の「ガラスのような銃」という例では、ただでさえ「ガラス」に「割れやすい」「透明」といった複数のイメージが存在するにも関わらず、そのどれもが「銃」のイメージとかけ離れ過ぎているため、混乱が生じてしまいました。

比喩が使えるのは一般的な言葉同士のみ

 そもそも、AとBがイメージとして結び付きやすい言葉同士であるためには、必然的にAだけでなく、Bすら一般的に知られた言葉でなければなりません。当然ながら、知らない言葉では適確にイメージできませんからね。

 もちろん、Bという未知のものを説明するために比喩を使うこともあるでしょう。しかしその場合は、Bが食べ物なのか、スマホアプリなのか、ある程度の説明をしてからでなければ比喩は絶対に使えないはずです。

 Bのイメージを確定させるためにAを使って比喩するわけですから、BはAほどイメージを固定できていなくても構いません。ただ、比喩の対象物とするからには、Bにもそれなりに知られた言葉を使うべきでしょう。

 ちなみに「XはYのような食べ物」と説明した場合、「Yのような」という比喩は「X」ではなく「食べ物」という「誰もが知っている言葉」にかかっていますから、しっかり上記のルールに沿っています。

まとめ

 こうした例から見ても、「AのようなB」という比喩を使う際の条件として、

①AとBが一般的に知られている言葉である
②Aに対するイメージの整合率が高い
③AとBのイメージが結び付きやすい

 という3点が重要でしょう。

 ただし、前述のような条件を全て満たしたとしても、文脈から判断してもらわねばならないケースもあります。

 例えば「磁石のような瞳」と書いてあった場合、どのような瞳だと思いますか?「磁石」に黒いイメージを抱いた方は、「黒い瞳」だと思うでしょうし、「磁石」の持つ磁力をイメージした方は、「惹きつけるような魅力的な瞳」と取るかもしれません。もしかしたら作者が描きたかったのは、両方を含めた「黒くて魅力的な瞳」かもしれない。

 そして、これを文脈からすら判断できなかった場合、それは作者の手落ちです。文章で何かを伝えたいのであれば、読者が2通り以上の読み方をできる状態を作ってはなりません。そうした曖昧な文章は、読者の混乱や誤解を生んでしまうからです。

 文学作品で、作者が自我を前面に出したいタイプならば、これまで書いてきようなルールを逸脱するのもありでしょう。ただプロの作家であれば、常識から外れた感覚であると認識した上で書いているはずです。

 比喩は、友人や同僚と少人数で話す際には、同じバックグラウンドを持った人間同士の明確な共通認識・共通言語がある場合が多いため使いやすい。しかし、この手法を通じて不特定多数の読み手に同じイメージを伝えるのは、実はとても難しいことなのです。