ローマ人の物語(6)/グラックス兄弟の改革とマリウスの登場

覇権国家ローマを蝕む歪み

 歴史作家、塩野七生による大長編『ローマ人の物語』(新潮文庫)全43巻を紹介していくこのコーナー。前回までに共和政ローマは、ハンニバル・バルカ(B.C.247~B.C.183)との死闘も含め、3度に渡るポエニ戦争(B.C.264~B.C.146)を勝ち抜き、宿敵カルタゴを滅亡に追いやりました。 名実ともに地中海世界最強の国家となったローマでしたが、今度は内部に歪みを抱えることとなりました。今回ご紹介する『ローマ人の物語(6)勝者の混迷(上)』(新潮文庫)では、ポエニ戦争後の共和政ローマが直面した問題の数々と、その解決に奮闘した人々が描かれます。

ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)

自作農の没落とローマ軍の弱体化

 カルタゴとの間で120年の長きに渡って繰り広げられたポエニ戦争は、ローマにとって未曽有の災害とも言える非常事態でした。最終的にはこれに勝利したローマですが、この戦役によって社会構造は大きく変化することとなりました。

 まず、西地中海に覇権を確立した共和政ローマの本国イタリア半島には、他地域から安価な農作物が流入するようになります。これにより従来の自作農が立ち行かなくなり、失業し始めました。ポエニ戦争という前代未聞の長期戦争によって兵士(≒農民)が長期間農地を離れねばならなかったことも、没落の要因の一つです。

 共和政ローマでは、税金=兵役でした。一定の資産を持っている市民には兵役の義務があり、その代わり投票権などの市民権を有するという仕組みです。したがって、自作農の没落(=無産市民化)は、ローマ兵の減少に直結します

 ローマではこの対策として、市民権の資格資産額の下限を引き下げました。しかし、こうした施策も功を奏さず、都市全体の人口は増加しているにも関わらず、兵役義務のある市民は減少の一途を辿ったのです。

 しかも、市民権の資格資産額の下限を引き下げるということは、元々兵役を負っていなかった人々も戦場に駆り出すわけですから、当然兵の質の低下に繋がります。こうして「覇権国家」ローマは、属州での反乱といった従来負けるはずもなかった戦いで敗北を喫するようになりました。

ローマ、内乱の一世紀に突入

 一方、ポエニ戦争後の領土(=市場)拡大によって、商業に従事していた人々が台頭してきました。富裕な平民のみならず、法律上は商業を営むことが禁じられていた政治家たちも、奴隷など別人名義で商売をしていたようです。

 また、古今東西、金持ちは資産を分散投資しますから、彼ら富裕層は不動産(=農地)を買い漁りました。本当は、1人が所有できる土地の広さには上限が設けられていたのですが、やはり家族や奴隷の名義で大土地所有をするなど、法律は有名無実化していたのです。

 自作農が困窮する一方、富裕層は農業や商業に従事してどんどん投資利益を拡大する。こうしてローマは著しい格差社会となっていきました。B.C.367年のリキニウス・セクスティウス法やB.C.287年のホルテンシウス法によって「貴族vs平民」という身分の対立構造を克服したローマでしたが、今度は経済格差が引き起こす対立に悩まされることとなったわけです。

 こうして、カルタゴを滅ぼしたB.C.146年からわずか15年足らずで、共和政ローマは歴史上「内乱の一世紀(B.C.133~B.C.27)」と呼ばれる混迷の100年に突入していきました。

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若きグラックス兄弟が改革を志すが…

 経済格差是正のためにまず登場したのが、グラックス兄弟です。兄はティベリウス・センプロニウス・グラックス(B.C.163~B.C.133)、弟はガイウス・センプロニウス・グラックス(B.C.154~B.C.121)と言いました。

 実はこのグラックス兄弟、カルタゴとの戦いでハンニバルを破った英雄スキピオ・アフリカヌス(B.C.236~B.C.183頃)の孫(娘の子)という由緒正しい貴族家系の生まれでした。しかし、彼らは志高く、平民階級の保護を目的とした官職である護民官に就任したのです。

 グラックス兄弟は、大土地所有の制限、無産市民への土地分配などの施策を打ち、没落した農民を農地に復帰させることで、格差の改善を図ります。しかしこの政策は、大土地所有によって利益を得ていた貴族階級から構成される元老院と対立するものでした。

 その結果、兄ティベリウスは暗殺され、弟ガイウスも自殺に追い込まれて、改革は頓挫します。兄弟いずれも、30代前半という若さで迎えた無念の死でした。

マリウス、軍制改革を断行

 次に政治の表舞台に登場したのは、軍人から叩き上げで執政官まで上り詰めたガイウス・マリウス(B.C.157~B.C.86)です。第3次ポエニ戦争でカルタゴを滅ぼしたスキピオ・アエミリアヌス(B.C.185~B.C.129)からも認められるほどの軍事的才能を持っていた彼は、ローマ軍の弱体化に問題意識を抱きました。

 マリウスは、従来の「一般市民を対象とした徴兵制」から「志願兵制」へと軍制改革を行い、失業した農民の雇用を創出。グラックス兄弟が成し遂げられなかったことをいとも簡単に実現してしまいました。

 グラックス兄弟は農民たちを元の土地に戻して再び有産市民化することで、従来の徴兵制のままローマ軍弱体化に歯止めを掛けようとしました。一方マリウスは、そもそも土地を失った農民を直接雇って職業軍人にしてしまったわけです。

 グラックス兄弟の改革には断固反対した元老院でしたが、マリウスの軍制改革に際しては別段懸念を示していません。それは、①ローマ軍の弱体化には彼らも問題意識を抱いていたこと、②農地改革を伴わない以上、懐が痛くなかったこと、③この施策を失業者たちが好評をもって迎えたこと、④マリウスが体制外の護民官ではなく、体制内の執政官として改革を行ったこと、などが挙げられます。

 こうして自ら雇い、鍛えた職業軍人たちを核とする軍隊を率いたマリウスは、北方から侵入してきたゲルマン民族や、北アフリカで反乱したヌミディア王ユグルタ(B.C.160~B.C.104)と戦い、これに勝利。ローマは内部に抱える問題を解決したかに見えました。

同盟市戦争勃発

 しかし、ローマが志願兵制となったことにより、今度はローマと同盟している諸都市との間に軋轢が生じます。

 徴兵制を採っていた頃は、兵役はローマ市民の義務であり、軍隊内でも犠牲の多い中核を担うことが求められました。ところが志願兵制となると、少なくとも軍内におけるローマと他都市との区別は消滅。この結果、他の都市が同じ共和政ローマの構成員として、ローマと同等の市民権を付与するよう求めてきたのです。

 至極もっともな話でしたが、ローマ側はこれを拒絶。納得の行かない諸都市は、ローマ市民権を得るべく一斉に蜂起しました。いわゆる同盟市戦争(B.C.91~B.C.88)の勃発です。第2次ポエニ戦争の折、ハンニバルが渇望しながらも果たせなかったローマと諸都市との同盟関係崩壊が、ついに内部から起こったのでした。

 最終的に、ローマは同盟諸都市にローマ市民権の付与を認め、ひとまず内戦は終結。この出来事は、従来「都市国家の集合体」としての体裁を取ってきた共和政ローマが、完全に領域国家へと舵を切る大きな契機となりました。

 ただ、これでもローマの迷走に歯止めはかかりませんでした。拡大の一途を辿るローマの統治体制を巡り、「内乱の一世紀」は続いていくことになります…。

次巻へつづく)