ハンニバルを輩出したカルタゴの歴史が1冊で丸わかり!

近代戦術にも影響を与えた天才ハンニバル

 天才的戦略家ハンニバル(B.C.247~B.C.183頃)を輩出し、共和政ローマと戦いを繰り広げたことで有名なカルタゴ。この古代における一大貿易国家の歴史を1冊にまとめたのが、講談社学術文庫「興亡の世界史」シリーズから出ている『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子著)です。

 カルタゴはいかにして生まれ、繁栄し、滅亡したのか。本書ではその過程が分かりやすく通史的に描かれているため、同国に対する理解を深められます。

興亡の世界史 通商国家カルタゴ (講談社学術文庫)

興亡の世界史 通商国家カルタゴ (講談社学術文庫)

『通商国家カルタゴ』の目次

第1章 フェニキアの胎動
第2章 本土フェニキアの歴史
第3章 フェニキア人の西方展開
第4章 カルタゴ海上「帝国」
第5章 上陸した帝国
第6章 カルタゴの宗教と社会
第7章 対ローマ戦への道
第8章 ハンニバル戦争
第9章 フェニキアの海の終わり

 カルタゴ史のハイライトと言えば、共和政ローマとの3度に渡るポエニ戦争(B.C.264~B.C.146)。中でも第2次ポエニ戦争において、ハンニバル率いるカルタゴ軍が倍する兵力のローマ軍を包囲し、打ち破ったカンナエの戦い(B.C.216)は、戦史を語る上で最も名高い戦いの一つとされています。

 実際、この戦いは近代陸軍の軍事教練の教科書にも載っていたほどで、ドイツ帝国陸軍の対仏侵攻作戦「シュリーフェン・プラン」や、日露戦争時の奉天会戦における大日本帝国陸軍の作戦立案でも参考とされました。第2次世界大戦ではスターリングラードの戦いでソ連軍がドイツ軍を同じ戦術で包囲・撃滅しています。

同じ年に東西で最強国家が誕生

 反対にローマの大スキピオがハンニバルを破ったザマの戦い(B.C.202)も有名ですね。話は少し逸れますが、個人的に興味深いのは、ローマとカルタゴの趨勢を決めたこの戦いが行われた紀元前202年、遠く離れた東の果てでも同様に歴史的意義の大きい戦いが繰り広げられていたという偶然です。

 それは中国史上最も重要で、「四面楚歌」の故事でも有名な垓下の戦い。これにより、漢の劉邦(B.C.256~B.C.195)と楚の項羽(B.C.232~B.C.202)が雌雄を決しました。勝者の劉邦は皇帝に即位し、その後400年間続く漢帝国を興すこととなります。全く同じ年に、東西で古代における最強の国家が事実上その地位を確立したというのは面白い事実です。

起源はフェニキア商人

 さて、ローマとの戦いが取り沙汰されることの多いカルタゴですが、その歴史は紀元前8~9世紀まで遡ります。まだローマが弱小の都市国家であった頃、地中海の制海権を握り、交易で大いなる繁栄を享受していたフェニキア人の作った街が、カルタゴの始まりです。

 ポエニ戦争に代表される「ポエニ(Poeni)」という名も、ギリシア語でフェニキア人を意味する「フォイニケス(Phoinikes)」に由来します。ただし、ローマ人が「ポエニ」と呼ぶ時、それはフェニキア人一般ではなく、カルタゴ人を指していました。

 フェニキア人は元々、地中海東岸にシドン、テュロス、ビュブロスといった都市国家を築き、地中海貿易に従事していました。かつて全オリエントを支配した新アッシリア帝国(B.C.934~B.C.609)の時代から、彼らは厳然と存在していたのです。

 領土的な版図拡大を追っていったローマに対して、言わば最低限の領土しか持たず、貿易国家として繁栄を極めたカルタゴからは、現在のシンガポールを連想させられます。

 ただ、最終的にカルタゴは、ローマによって完膚無きまでに打ち破られ、都市は完全に破壊されて灰燼に帰しました。一時は隆盛を極め、「ハンニバル戦争」とも呼ばれる第2次ポエニ戦争ではローマを下す勢いであったにも関わらず、その戦争終結からわずか半世紀ほどで滅亡した計算になります。

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旧カルタゴ領ドゥッガに残るローマ時代の遺跡

カルタゴは記憶の中に

 カルタゴは消え失せたという人がいますが、僕は別の見方をしています。消えてなくなるというのは、「一切の記録に残らず、誰からも忘れ去られ、語り継ぐ者もいない」、そんな状況だと思うのです。しかし、カルタゴはそうではない。まだ僕たちが歴史として語り継いでいるからです。

 一方で、永遠など存在せず、全てのものがいずれは滅びる運命にあるとも思います。カルタゴを最後に下した小スキピオ(B.C.185~B.C.129)は、眼下で陥落する敵の都市を見ながら涙しました。歴史家のポリュビオス(B.C.204~B.C.125)が理由を尋ねると、「いつか、我が祖国ローマも滅びるのだろうか」と語ったそうです。そしてご存知の通り、彼が指揮したローマも運命には抗えず、滅亡することとなります。ただし、カルタゴ陥落の約600年後という遠い未来ではありますが...。

 カルタゴに関する史料は、特に時代を遡るほど豊富とは言えず、学会で論争が巻き起こっている事項も少なくないようです。歴史学は、真実として何が起こったのかを研究し、本当に人々の記憶から消えてしまわないよう後世に伝えていくという意味でも、とても重要な役割を担っていると改めて痛感させられます。