ローマ人の物語(20)/第5代皇帝ネロ、若き暴君の実像とは?

「暴君」と呼ばれたネロの治世

 歴史作家、塩野七生による大長編『ローマ人の物語』(新潮文庫)全43巻を紹介していくこのコーナー。前巻では、第4代皇帝クラウディウス(B.C.10~54、在位41~54)の治世を描きました。

 さて、今回紹介する『ローマ人の物語(20)悪名高き皇帝たち(四)』(新潮文庫)では、クラウディウスの死去に伴って即位し、後に「暴君」と呼ばれることになる第5代皇帝ネロ(37~68、在位54~68)の治世を見ていきます。

ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

  • 作者:塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/08/28
  • メディア: 文庫

10代半ばにして皇帝に即位

 ネロは37年、グナエウス・ドミティウス・エノバルブス(17~41)と小アグリッピーナ(15~59)の息子として生まれました。両親ともに初代皇帝アウグストゥス(B.C.63~14)や、そのライバルであったマルクス・アントニウス(B.C.83~B.C.30)の血を引いていますから、名家の御曹司と言えます。

 実は、彼の元々の名は、ルキウス・ドミティウス・エノバルブスと言いました。しかし前回紹介したように、野心家であった母の小アグリッピーナがクラウディウスの4番目の妻になると、息子を皇帝の養子とすることに成功。こうして50年、ルキウス・ドミティウス・エノバルブスは、ネロ・クラウディウスと名を変えたのです。

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第5代皇帝ネロ

 14歳にして成人式を済ませ、「皇太子」の称号まで手にしたネロ。16歳になるとクラウディウスの実の娘クラウディア・オクタヴィア(40~62)と結婚し、元老院議場に登壇して演説をぶつまでになりました。

 小アグリッピーナは心中でほくそ笑みました。「ついに息子を皇帝に据える時が来た」と。そして、満を持して、夫である皇帝クラウディウスを毒殺したとする説が有力です。

 こうしてネロは、わずか16歳で皇帝に就きました。母である小アグリッピーナとしても、自らが後ろ盾となって権力を振るうには、皇帝は若い方が好都合だったのです。

 なお、小アグリッピーナは第3代皇帝カリグラ(12~41、在位37~41)の妹ですから、皇帝(カリグラ)の妹から皇帝(クラウディウス)の妻を経て、皇帝(ネロ)の母になったことになります。

教育ママ、小アグリッピーナ

 小アグリッピーナは権力への執着心が強い女性でしたが、歴史上の女帝によく見られるように、息子をただのお飾りとして利用するばかりではありませんでした。彼女はいわゆる「教育ママ」であり、息子に帝王学を施すべく力を尽くしたのです。

 例えば、ネロの家庭教師として、当時ローマ帝国で随一の哲学者であったルキウス・アンナエウス・セネカ(B.C.1頃~65)を付けています。前述した元老院での演説をネロが見事に行うことができたのも、こうしたブレーンがいたからでした。

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帝政ローマ随一の哲学者セネカ

 また、軍事的には近衛軍団の長官セクストゥス・アフラニウス・ブルス(1~62)をネロの側近に加えることで、その権力基盤を固めました。息子を文武両道の男にすべく、小アグリッピーナから「文」を任されたのがセネカならば、「武」を担ったのがブルスでした。

親子喧嘩と義弟殺し

 こうしてネロの治世は順調に始まったかのように見えましたが、数年で綻びが生じます。ネロが、小アグリッピーナの口出しを疎ましく思うようになったのです。

 10代の息子が母からの執拗な干渉に辟易するという現象は、古今東西どこにでもある話です。しかし、争っている親子がいずれも権力者であるばかりに、事態は悪い方向へと展開していきました。

 ネロの反抗に怒った小アグリッピーナは、皇位継承権を持つクラウディウスの息子ブリタニクス(41~55)に目を付けます。かつては実子ネロを皇帝の座に就けるため、むしろ退けていた相手でしたが、ネロが言うことを聞かないとなれば話は別です。

 ブリタニクスはネロよりも4歳年少でしたが、ちょうどネロが成人した14歳を迎えようとしていました。つまりこれは「皇帝に名乗りを上げられる」ということを意味しています。この動きを察知したネロは、自身の妻の弟でもあるブリタニクスを晩餐に招待し、暗殺してしまいました。f:id:eichan99418:20200126154535j:plain

母と妻も殺害

 また、ネロは愛人ポッペア・サビーナ(30~65)と正式に結婚するため、妻のオクタヴィアとの離縁を画策していました。しかし、「先帝クラウディウスの娘であるオクタヴィアを妻としていることで、ネロの権力の一端が担われている」と考えていた小アグリッピーナは、これに猛反対します。

 それまで頻繁に起こってきた数々の対立の積み重ねもあってのことでしょうが、事ここに至ってついに、ネロは小アグリッピーナの殺害を決意しました。

 ネロはまず、小アグリッピーナを乗せた船を沈没させ、彼女を溺死させようと試みます。しかし、水泳の達人であった小アグリッピーナは、自ら陸まで泳ぎ切って生還しました。

 もはやネロは、小アグリッピーナにその殺意を知られてしまいました。報復を恐れた彼は、近衛兵に命じて母を殺させます。兵士に囲まれた小アグリッピーナは、自らの腹部を指し示しながら「殺すならば、ネロが宿ったここを刺すがいい!」と言い放った後、全身に剣を受けて絶命しました。

 夫のクラウディウスを殺してまで権力の座に就いた小アグリッピーナは、最終的には息子から殺されることとなったのです。

 小アグリッピーナの死によって、ネロを止める掛け金は外れました。彼はオクタヴィアと離縁し、ポッペア・サビーナと結婚。それだけでは止まらず、オクタヴィアに不倫の罪を着せて殺害してしまいます。

「暴君」の由来

 ネロは義弟と母を暗殺し、妻を死に追いやり、後には師であるセネカまで殺害しました。こうなっては、後世から「暴君」の名で呼ばれても自業自得と言うしかありません。

 また、芸術を愛好するあまり、国政を放り出して、自身の作った詩と曲を披露するためギリシアへ旅行してしまうなど、自由奔放な性格であったことも、政治家としての評価を下げています。

 加えて、キリスト教を弾圧し、初代ローマ教皇ペトロ(?~67)がそのために殉教しています。特にキリスト教文化圏となった西洋において、歴史的に非難の対象とされてきたのは仕方ないことでしょう。f:id:eichan99418:20200126154628j:plain

ユリウス・クラウディウス朝断絶

 ただ、当代一流の学者であったセネカをブレーンに持ったこともあり、その政治は全てが悪政だったわけではありません。ネロ自身も、若くして堂々と元老院議場で存在感を発揮できるほど、才気溢れる青年でした。

 ネロが行った暗殺劇は、後妻ポッペア・サビーナの影響によるものが多いとする説もあります。また、キリスト教徒への処遇に関しても、1世紀当時のローマ世界では圧倒的多数が多神教信者であり、各方面から非難を受けるような施策ではありませんでした。

 政策としては、ブリタニア遠征を成功させ、当時最大の仮想敵国であったパルティアとの間に平和を確立。ローマが大火に襲われれば、即座に陣頭指揮を執って都市機能の回復に努めました。また、彼の改革した通貨制度は良くできていて、その後150年間に渡って存続します。

 もちろん、現状把握が甘かった点は否めません。理由も無く各地の軍司令官を死に追いやったことを引き金に、ガリア(現フランス)、続いてヒスパニア(現スペイン)で反乱が起こると、もはやネロには対処する術が無く、元老院より「国家の敵」との宣告を受けます。一度は逃亡を図るも、最終的には自害。30歳5カ月の生涯でした。

 ネロの死によって、ユリウス・カエサル、アウグストゥスの血を継ぐ「ユリウス・クラウディウス朝」は断絶。ローマは帝政になって初めて、本格的な危機を迎えることとなるのです。

次巻へつづく)