夏目漱石が『坑夫』で描いた人間の複雑性

明治末期の家出青年が主人公

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など、数々の名作を残した明治・大正の文豪、夏目漱石(1867~1916)。今回は、彼の作品の中ではあまり知名度が高くないものの、真に迫った人間描写が素晴らしい『坑夫』を紹介します。f:id:eichan99418:20191223225241j:plain

 本作の舞台は明治時代末期の日本。恋の悩みの果てに東京の実家を飛び出した19歳の青年は、放浪の末に自ら命を断つべく、北へと向かいます。道中で人買いに引き止められた彼は、「簡単に儲けられる」という甘言の罠を半ば見抜きながらも、言わば「命を捨てるため」に銅山の坑夫になることを決意するのですが…。

坑夫 (岩波文庫)

坑夫 (岩波文庫)

人間が抱える矛盾と複雑さを描く

 これぞ正真正銘の「文学」。それが、僕がこの作品を読んで抱いた第一印象です。どういう恋愛の末に家出に至ったのか、いかなる経緯で銅山から解放されたのか、山から抜け出した後にどのような人生を送ったのか。そういった事柄の詳細は一切書かれません。

 また、そもそも銅山で働いていたのもたったの5カ月。それもさらっと語られる程度で、実際に小説内で細部まで描かれるのは、銅山に入る前後の数日間のみに留まります。

 作中で描かれるのは、人間が内包する矛盾と複雑さ。ドラマチックな展開やエキサイティングな出来事が皆無なのも、分かりやすい物語に合わせて人間の描写を単純明快にしなければならないことを嫌った漱石が、読者の目が物語に向いてしまうことを恐れたからでしょう。ストーリーの「面白おかしさ」をあえて取り除いたのだと考えられます。

従来の物語小説への挑戦

 最初は人生に終止符を打つために家を飛び出しておきながら、途中で坑夫として銅山へ行く決意をする。その中で生き延びようと一度は意を翻したにもかかわらず、劣悪な労働環境に嫌気が差して、やはり生きることに絶望する。しかし、人生を終わらせるならば山の外だろうと思い直し、最終的には命を絶つために生きる道を選ぶ。

 こうした大きな流れに止まらず、本作では様々な折に触れて主人公の心理状態の変遷が実に細かく描かれています。誰かと話したり、道を歩いたりしているだけでも、喜び、悲しみ、悔しさ、怒りなどがグルグルと巡る。

 本来、人間の性格は一言で表せるような単純なものではありません。 時に果断でも時に臆病だったり、時に優しくても時に冷酷だったり。こうした「まとまりの無さ」を文章の力で忠実に描こうとしたのがこの小説です。そうした意味では、主人公の性格を分かりやすく描くことで物語を編んできた従来の小説に対する挑戦とも言えます。

性格を単純化すると現実味が無くなる

 現代でも、ストーリーを面白くするために、主人公は首尾一貫した分かりやすい性格の人物として描かれることが多いですよね。それはそれで良いのですが、人の性格を単純化して捉えようとするほど、現実味が無くなっていく のもまた事実です。

 昨日と今日で考えが変わってしまう。言っていることとやっていることが違う。そうした矛盾こそ人間のリアルです。もし、小説やドラマにおける登場人物の性格を一言で言い表すことができるなら、それはその人が持っているはずの他の部分を全て捨象しているに過ぎません。

 逆説的ですが、大衆小説やテレビドラマで何らかの筋が通っている人物が主人公になることが多いのは、そうした人が現実にはなかなか存在しないからです。もし、常に一本筋の通った言動をするのが人間として当たり前であれば、そのような存在は憧れの対象にはなりませんから、わざわざドラマの主人公になることはないはずです。

 夏目漱石は、このように人間が内包している曖昧さ、複雑さ、捉え難さを100年以上前に認識し、さらに文学を通して表現しようと試みたわけですから、脱帽するしかありません。

f:id:eichan99418:20190406042844j:plain

世界初!?「意識の流れ」を描写

 本作では、心理状態があまりにもそのまま描かれており、まるで日記のようにも見えます。銅山を降りた後の主人公が、当時を回顧しながら分析している形式なので、現在の描写から突然脱線して、深い思考の中に入っていくことも多いのが印象的です。

 実際、この『坑夫』こそ人間の「意識の流れ」を描いた最初の小説だと言う人もおります。「意識の流れ」の描写を行った小説としては、ヴァージニア・ウルフ(1882~1941)の『灯台へ』が有名ですが、こちらが書かれたのは1927年。同じことを行おうとしたその他の小説も1920年代の作品が多く、一方で『坑夫』が書かれたのは1908年ですから、確かに20年近い開きがあります。

 ちなみに『灯台へ』は三人称で描かれているので、様々な人間の心を渡り歩くことができましたが、『坑夫』は主人公一人に焦点を当てているため、その他の人間の心情には一切関知していない所が大きく異なるポイントです。

『坑夫』の登場人物は、数ページだけ出てくる人や、途中で分かれたきり2度と出て来ない人が当たり前。本名が姓名共に書いてある人もいれば、最後まで名前すら明かされない人もいます。そこのところも、実際に自分が知っている範囲で書いている感じが出ていて妙にリアルですね。

 本作は、命を断とうとしている家出青年を描いている割に、案外暗くはありません。そこまで有名ではありませんが、小説の在り方そのものに一石を投じた作品として、一度読んでみることをオススメします。