ヴィヴァルディ、ヘンデル、スカルラッティが文学の世界で夢の共演!

ラテンアメリカ文学の先駆者

 ラテンアメリカ文学の代表的作家と言えば、ノーベル文学賞の受賞者として、コロンビアのガブリエル・ガルシア・マルケス(1928~2014)やペルーのマリオ・バルガス・リョサ(1936~)がよく挙げられます。

 しかし、彼らの先駆的存在として、ラテンアメリカから世界に名を轟かせたのが、キューバのアレホ・カルペンティエール(1904~1980)です。

 彼は1977年、ラテンアメリカ出身の作家としては初めて、スペイン語圏最高の文学賞であるセルバンテス賞を受賞。今では『百年の孤独』『族長の秋』といった作品によってガルシア・マルケスの代名詞となっている「魔術的リアリズム」も、元々はカルペンティエールの十八番でした。

 一時はフランスに亡命していたこともあり、その際には画家の藤田嗣治(1886~1968)とも親交を深めました。1931年にはわざわざ藤田夫妻を祖国キューバに招待しているほどですから、その親密度がうかがえます。

 また、彼は音楽理論にも強い興味を抱き、ラテンアメリカ作家屈指の音楽通として知られていました。彼の略歴には「小説家」と共に「音楽評論家」という肩書が加わっているくらいです。

 今回は、そんなカルペンティエールの広範かつ深遠な音楽的知識がいかんなく発揮された小説『バロック協奏曲』(水声社「フィクションのエル・ドラード」シリーズ、鼓直訳)を紹介します。

バロック協奏曲 (フィクションのエル・ドラード)

バロック協奏曲 (フィクションのエル・ドラード)

3人の歴史的作曲家が登場

 物語の時代設定は1700年代初頭。メキシコの銀鉱経営で成功した主人が従者を連れ、ヨーロッパへと旅立ちます。主人の先祖は、新大陸で一旗揚げようと移住してきたスペイン人で、言わば故郷に錦を飾ろうというわけでした。

 海路キューバを経て、スペイン、そしてイタリアへと渡った主人たちは、道中でアントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(1678~1741)ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759)ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(1685~1757)という3人の偉大な作曲家たちと出会い、共に行動することとなります。

 現代では歴史的巨匠とされている3人ですが、作中ではとても人間味溢れる存在として描かれており、文章の端々にそれぞれの特徴がよく表れています。

赤毛の司祭ヴィヴァルディ

 例えば、ヴィヴァルディはカトリックの司祭に叙階されており、赤毛であったことから「赤毛の司祭」と呼ばれました。本作の中ではそうした描写が多数出てきます。

 また、彼がヴァイオリンを始めとした楽器を教え、作曲も行っていたヴェネツィア共和国の救貧院・孤児院「ピエタ慈善院付属音楽院」も作中に登場します。ここでは音楽的才能があるとされた女性が訓練を受け、合奏・合唱団を構成していました。

 フランス革命にも影響を与えた政治思想家のジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)も、この演奏や歌唱を聴衆として聴いています。彼は哲学者、教育者、植物学者としても業績を残している他、実は作曲家でもありました。現在は童謡「むすんでひらいて」として有名なあの曲も、元々はルソーの手による讃美歌です。

 カルペンティエールが本作の執筆に際して参考にしたとされる文献の中には、ルソーの自伝『告白』も含まれています。彼は小説を書くにあたって、執拗なまでに文献調査を行うことで知られており、ルソーの記録したピエタ慈善院付属音楽院の様子も、何らかの着想の起点となっているのかもしれません。

ヘンデルvsスカルラッティ

 ヘンデルも、元々ドイツの生まれながら、イギリスに帰化した経歴をもつ人物であることから、作中では「サクソン人」と呼ばれています。イギリス大使のことを「彼は私の親友だ」と豪語するなど、所々でネタにされているのがコミカルで面白い限りです。

 ヘンデルとスカルラッティは、ローマで楽器の腕前を競い合ったというエピソードが残っています。チェンバロでは引き分けたものの、オルガンではヘンデルの演奏を聴いたスカルラッティが即座に負けを認めたとのことでした。

 この逸話が史実かどうかの信憑性は怪しいのですが、少なくとも本作の中で演奏をする場面では、ヘンデルがオルガンを担当し、スカルラッティはチェンバロを弾いており、微笑を禁じ得ません。f:id:eichan99418:20191003031656j:plain

オペラ「モテズーマ」

 さて、この『バロック協奏曲』の中でも重要になるのが、ヴィヴァルディのオペラ「モテズーマ」です。モテズーマとは、メキシコ高原を中心に栄えたアステカ帝国の第9代君主モクテスマ2世(モンテスマ、1466~1520)のこと。スペインの冒険家エルナン・コルテス(1485~1547)による、同帝国の征服が題材となっています。

 ただ、小説の中で描かれるオペラは、全く史実の通りではありません。最終的にコルテスは敵を許し、スペインとアステカの間には平和が築かれてハッピーエンドで終幕となるのです。

 この事実とはかけ離れた結末に憤慨した主人に対して、ヴィヴァルディは「オペラは歴史家の書くものとは関係ない」「歴史、歴史とうるさく言わんでくれ。ここで大事なのは詩的な幻想であって……」と返答。実はこれこそ、カルペンティエールが本作を通して描こうとした本質が詰まったセリフと言えます。

幻想文学によって歴史を超える

 前述の通り、この小説の舞台は1700年代初頭のはずです。そして、ヴィヴァルディ、ヘンデル、スカルラッティの登場だけを考えれば、時代の整合性は取れています。

 しかし、主人と従者が3人の巨匠と共に朝食会を開く場面で、彼らが選んだ場所はロシアの作曲家イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882~1971)の墓の前なのです。実際、ストラヴィンスキーの墓はヴェネツィアのサン・ミケーレ島にありますので、場所としての辻褄は合っているものの、18世紀の時点で彼の墓があるはずはありません。ちなみに、「同じ曲を繰り返し作曲しただけの退屈な男」というのがストラヴィンスキーのヴィヴァルディ評でした。

 また最終章では、主人に別れを告げた従者が、パリで開かれたルイ・アームストロング(1901~1971)の演奏会に赴くシーンで終焉を迎えます。こちらも時代としては200年以上の開きがあることは明白です。

 ただ、こうした錯誤も、カルペンティエールに言わせてみれば、まさに「文学は歴史家の書くものとは関係ない。歴史、歴史とうるさく言わんでくれ」ということになります。カルペンティエールが故意に時空を錯綜させていることは自明であり、彼はそこに幻想を見出しているのです。幻想文学こそ、歴史を知り尽くしたカルペンティエールが、歴史を超越した物語を紡ぐため至った境地と言えます。

 カルペンティエールは他に、セルバンテス(1547~1616)の『ドン・キホーテ』にも見られる「主人と従者の旅」という構図など、伝統的な手法を取り入れつつ、新しい文学を切り拓いています。これぞ温故知新。クラシックや歴史に興味のある方は、本作で音楽と文学の融合を楽しんでみてはいかがでしょうか。