芥川賞作家・田中慎弥が日本人の深層心理をえぐり出す

「もらっといてやる」発言で一躍有名に

 2012年に『共喰い』で第146回芥川賞を受賞した田中慎弥さん。授賞式で「私がもらって当然」という趣旨の発言をしたり、「もらっといてやる」などと田中節を炸裂させたりして一躍有名になりました。

 しかし、実際には気難しいながらも物凄く真面目で、パソコンもスマホも持たず、毎日ひたすら紙と鉛筆だけで机に向かっているストイックな作家だと聞いたことがあります。

 そんな彼が2015年に発表したのが、『宰相A』(新潮社)です。作家を生業とする主人公Tがパラレルワールドに迷い込む本作品。その世界で日本はアメリカの半植民地となっており、平和と民主主義を守るため、アメリカと共に世界規模の戦争を遂行しているのでした。 

宰相A (新潮文庫)

宰相A (新潮文庫)

宰相Aは明らかに安倍首相だが…

 パラレルワールドの日本を支配する傀儡政権の宰相Aとは明らかに安倍晋三首相。本の帯で大意だけ知った時は日米安保の有り方に一石を投じるような作品かと思っていましたが、実際に読み進めるとそうした表層的な内容ではなく、もっと日本人の本質をえぐり出すような小説でした。

 現状に満足し、疑うことを止めてしまった日本人の思考停止。個人単位では弱くとも、集団になると攻撃的にさえなる群衆の暴力性。やりたいことがあるのに、出る杭が打たれる雰囲気から飛躍することの出来ない無力感。そうした深層心理が、物語の端々から溢れ出ています。

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文章の限界に挑戦するのが小説家の使命

 作品の印象としては、カフカの『城』に近いかもしれません。「なぜパラレルワールドに来てしまったのか」は一切説明されませんし、そこはさして重要な部分ではない。ドラマチックとは正反対にあるような世界観で、いつまでも答えに辿り着けず、疑問が払拭されないまま終わる感じも似ています。

 また、監視社会の中、現体制に身も心も縛られてしまっている人々がおり、一方でそれに抵抗するマイノリティーも一部存在しているという点では、ジョージ・オーウェル『1984年』にも似た雰囲気も感じました。

 表現が複雑な部分もありますが、受け入れがたいほどの逸脱は無かったように思います。文章で出来ることの限界に挑戦するのは小説家として当然ですし、彼が紡いだ言葉全てを内包してこその田中文学でしょう。

自分の才能を信じ続けられるのが天才

 田中慎弥さんに興味のある方は、彼が2017年に出したエッセイ『孤独論』(徳間書店)もオススメです。田中さんの人生観や生き方、読書に対する考えなど、非常に読みやすく書かれています。 

孤独論 逃げよ、生きよ

孤独論 逃げよ、生きよ

 今や芥川賞作家の田中さんですが、大学受験に失敗してからは15年間に渡って実家に引きこもり、ひたすら「読む・書く」だけを続けてきました。小説家を目指したのは「母が年老いて、そろそろ食えなくなるかもしれない」と思ったのが動機だったそうです。

 最初は単なる風景の描写から始まり、徐々に短編を練っていって、ようやく長編に挑戦するも、なかなか完成まで辿り着けない期間が長かったと言います。新潮新人賞を取ることとなる『冷たい水の羊』は、構想から10年かかってようやく仕上げた作品です。

「天才とは、自分には才能があると信じ続けられるという才能」と聞いたことがありますが、まさに言い得て妙だと思います。だから天才は諦めないのでしょう。諦めずに続ければ、成功する可能性は徐々に高まるというのが真理なのかもしれません。

良い文章を書きたくば古典を読め

 田中さんの言説の中で納得したのは、「言葉をアウトプットするためには、言葉をインプットしなければならない」というもの。当然と言えば当然ですが、やはり良い文章を書いていくためには、様々な言葉が織り成す多種多様な世界観に触れることが重要です。

 彼も川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫から影響を受けていることを公言していますが、良作を書きたければ、特に歴史の洗礼を受けている古典に触れるのが最適とのこと。やはり100年、200年と経っても世に残り続けている作品には、それなりの理由があるのでしょう。