何の事件も起きない高校生の日常
毎日仕事に追われて忙しい、精神的な余裕が無い、いつも時間と戦っている気がする…そんな方に一度心を空にして観ていただきたい映画が『セトウツミ』(大森立嗣監督)です。
此元和津也の漫画が原作の本映画。菅田将暉と池松壮亮がダブル主演を務め、話題となりました。
大阪のとある河辺を舞台に、瀬戸(菅田将暉)、内海(池松壮亮)という2人の高校生が放課後、ただ取り留めもないことを喋っているだけ。それがこの映画です。
軽快な関西弁で会話が展開されるため、抑揚が付いていることもあってか、思わず笑ってしまうようなシーンもありますが、内容としては単なる世間話に終始します。
場面も河辺から一切変わりませんし、胸躍る大事件も、若さゆえの喧嘩も、ときめくような恋愛も無い。時々お互いの家庭事情が少し垣間見えますが、映画の大勢には全く影響ありません。
「この川で暇をつぶすだけのそんな青春があってもええんちゃうか」
それが、この映画のキャッチコピーです。
「お金」が幅を利かせる現代
資本主義の世界に生きていると、様々なものの価値が「お金」に換えられてしまいますので、どうしても効率性や費用対効果の高さが優先されがちです。資本主義という土俵に立ち、市場での戦いに勝って生き残らねばならない企業は、むしろそのように考えるのが当然でしょう。
しかし、個人の持つ幸福の価値観は人それぞれです。「一銭の価値にもならない行動は無駄」と考える人もいれば、「お金にならなくてもこの仕事が出来ていれば幸せ」という人もいます。
もちろん、そのように0か100かで割り切れないのが人間の面白いところ。「お金が全て」という人も「お金には1mmも興味が無い」という人もなかなかいないでしょう。
ただ現実的に考えて、多くのものにお金がかかり、反対にある程度の問題はお金で解決できるこの時代、幸福の価値観に占めるお金の割合が高まるのは自明です。
生産性の無い時間は無駄なのか
そんな中で『セトウツミ』は、多くの現代人が忘れかけていることを思い出させてくれます。
劇中での瀬戸と内海の時間の過ごし方は、人によっては「無駄」の一言で切り捨ててしまうようなものでしょう。彼らの会話に「生産性」は無く、そこに「金銭的価値」や「成長」は無い。いや、もしかしたら彼ら自身、話した内容すら覚えていないかもしれません。
しかし、本当に彼らの時間は「無駄」なのでしょうか。何でもなかったような昔の出来事が、かえがえの無い思い出になっていたり、今の自分を作っていたりする。誰もが必ず、そうした経験を持っていますよね。
効率性を追い求めることばかり考え、多くの人が見失ってしまった「無駄」とされる時間を描く『セトウツミ』は純文学的です。主人公は高校生ですが、本質的には全ての現代人に訴えかけるものがあると思います。
「疲れているし、映画など観ている暇は無い」という方もいるでしょうが、75分と短めの映画ですので、何かの息抜きに一度観てみてください。