ローマ人の物語(10)/賽は投げられた!カエサル、ルビコン渡河

革命前夜の共和政ローマ

 歴史作家、塩野七生による大長編『ローマ人の物語』(新潮文庫)全43巻を紹介していくこのコーナー。遅咲きの英雄ガイウス・ユリウス・カエサル(B.C.100~B.C.44)も、40代にして跳躍を開始。三頭政治とガリア属州総督就任で権力と軍事力を手に入れました。 今回ご紹介する『ローマ人の物語(10)ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』(新潮文庫)では、ガリア遠征後半戦から、カエサルがルビコン川を渡り、共和政ローマと元老院に反旗を翻すまでを描きます。

ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫)

ガリアの英雄ウェルキンゲトリクス

 カエサルのガリア遠征は、B.C.58~B.C.51年にかけての8年間、毎年断続的に行われました。戦役開始の原因となったのは、現在のドイツ以東に住んでいたゲルマン人による圧迫、もしくはガリア人の反ローマ蜂起です。

 ガリア戦役の中でもカエサルと最もよく戦ったのは、多くの部族を団結させてローマ軍に対抗したウェルキンゲトリクス(B.C.72~B.C.46)でしょう。ただ、彼も一度はローマ軍に勝利を収めたものの、最終的にはアレシアという都市に追い詰められ、敗北を喫しました。

 基本的に敗者に対して寛容路線を貫いたカエサルですが、このウェルキンゲトリクスだけは処刑しています。それほど、この男の影響力は大きく、カエサルが恐れるに足る人物であったという証拠です。

ローマ防衛戦略としてのガリア平定

 前述の通り、このガリア戦役は、ローマ側が何の脈絡も無く一方的に攻め入ったために起きた戦争ではありませんでした。とはいえ、カエサルによるガリア遠征の結果、彼の地が完全に平定され、ローマの新たなる属州に組み込まれたことは事実です。

 そして、カエサルの思い描いていた政略としても、ガリアは完全にローマ化されねばなりませんでした。カエサルは、ガリアの東を流れるライン川をローマの国境線とすることで、異民族から国家を防衛しようと考えていたのです。

 そもそもガリアの政情が不安定であり続けるのは、高頻度で東方からゲルマン民族が押し寄せるためでした。加えて、ガリア内の諸部族に団結力が無いので、ゲルマン人に対抗することができず、結果として自分たちの土地を追われたり、戦争で領土を荒らされたりしていたのです。そして、ガリア内の騒乱は、しばしば国境を接するローマにも飛び火し、難民の流入や小規模な戦闘といった事態を引き起こしていました。

 この状態を根本的に解決するには、戦乱の元凶とも言えるゲルマン人を、ガリア諸部族の国境線で迎撃する必要があります。カエサルは、その役目を担えるのはローマ軍団だけであり、ガリアはローマの支配下に置かれた方が、そこに暮らす人々のためにもなるという信念を持っていたのです。

言語に見るローマの支配領域

 ローマは、地中海沿岸を全て自国の領土および同盟国で固め、跋扈していた海賊を完全に淘汰して海上交通の安全を確保。今や地中海世界の平和を維持する警察を自任するまでになっていました。後に「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる考え方の原型は、既に生まれていたと言えます。

 実際にガリアは、カエサルの平定後、ローマ化の優等生となります。帝政ローマの時代を迎えても、ガリアに張り付いているローマ軍団は全てゲルマン人との国境線(=ライン川沿い)に割かれていましたが、ガリア人たちが彼らを背後から脅かすようなことはありませんでした。

 現在ヨーロッパで話されている言語を見ても、ローマの影響力が及んでいた地域は一目瞭然です。ローマの公用語であったラテン語を起源としているのは、イタリア語、スペイン語、フランス語。反対に、ローマの支配下に入らなかったドイツや北欧で話されている言葉は、ゲルマン語をルーツとしています。f:id:eichan99418:20190820012943j:plain

カエサルの大局観と広い視野に脱帽

 それにしても、カエサルの大局観には驚くばかりです。彼が三頭政治を主導した際、権力を掴みながら、元老院体制への対抗軸を築いたことは前回述べましたが、ガリア遠征も同時に2つの目的を持って為されていました。

 目的の1つは、カエサル自身が勢力を強めるのに必要な軍事力の獲得。そしてもう1つは、先述したローマ防衛構想の完遂です。カエサルの言動は常に、目先の利益を得るばかりでなく、その先に大きな意味を持っています。

 そして、属州総督としてガリアにあり、困難な戦いに明け暮れながら、カエサルはローマの中央政府をコントロール下に置くことも忘れていません。自派に属する有能な人間に命じ、ローマの政治機能を担う主要な役職が元老院派の手に渡らないよう、緻密な工作も行っていたのです。

三頭政治の崩壊と元老院の反攻

 カエサルがその大局観と広い視野をいかんなく発揮し、余計な妨害を受けることなくガリア遠征に専念している間に、三頭政治の一角を担っていたマルクス・リキニウス・クラッスス(B.C.115~B.C.53)が遠征先のパルティア(B.C.247~224)で敗死しました。

 また、同じく三頭政治の1人、グナエウス・ポンペイウス(B.C.106~B.C.48)と政略結婚していたカエサルの娘ユリア(B.C.83~B.C.54)が死去したことで、カエサルとポンペイウスの間を結んでいた縁は完全に無くなります。

 これを機に、三頭政治は崩壊。元老院派は急速にポンペイウスへと接近し、打倒カエサルに向けて本格的に動き始めることとなるのです。f:id:eichan99418:20190820013036j:plain

あくまで合法的な国体改造を目指す

 さて、こうした情勢の中でも、カエサルは翌年の執政官就任を目指していました。彼はこの時点では、あくまで「合法的に」ローマの国家体制を「改造」しようと考えていたのです。

 当時、先見性のある人物ならば、地中海全域を傘下に収めて広大な領土を誇ることとなったローマを統治する上で、共和政(=元老院主導の寡頭政)にはガタが来ていることは分かっていました。

 ルキウス・コルネリウス・スッラ(B.C.138~B.C.78)とて、「元老院派」の首魁でありながら、そうした先見性のある人物の1人でした。ただ彼は、体制を内部から補修することで立て直そうと試みたに過ぎません。一方でカエサルは「共和政はもはや修復不能であり、新しい秩序の構築(=権力の一点集中による統治)こそ目指すべき政体である」と考えたのです。

戦略的布石を経てきた天才カエサル

 では、元老院が主導権を握る共和政国家を根本から覆し、独裁へと持っていくためには何が必要か。民衆からの支持、権力、軍事力でしょう。ここで改めてカエサルの行動を振り返ると、その歩みが「これらの力をいかに得るか」という目的のために一気通貫して為されてきたことがよく分かります。

 ローマ最高の権力者は執政官。そして、軍団の指揮権を持てるのは執政官か属州総督に限られました。そこで、カエサルは三頭政治によって執政官の地位を得ると、そのまま執政官経験者が翌年から自動的に就任することとなっていた属州総督になります。

 この際、通常であれば既に平定済みで豊かな(=実入りの多い)小アジアやシリアを望む者が多いところ、北や東からガリア人、ゲルマン人が大挙して攻めてくる危険性の高いガリアを任地に希望した点も、カエサル流の戦略でした。

 カエサルは、言わば「ガリアの政情不安を解決するため」という名目で、通常ではまず認められない大規模な軍隊と長期間の軍指揮権を獲得したわけです。前回紹介したルッカ会談の結果、最終的には6万人もの軍勢を合法的に手中に収めたカエサルは、8年間の戦役を通して、これを完全に掌握しました。

 もし三頭政治以前の時点で、ここまで全て予測して行動していたとすれば、やはりカエサルは天才ですね。ただ、そんな彼も勝負師であったことは間違いありません。何しろ、そもそも未知の領域であるガリアを上手く平定できなければ、全ての計画は水の泡だったわけですから。

賽は投げられた!

 カエサルの意図に反し、元老院側はあくまで、彼に対して厳しい態度で臨む構えを崩しませんでした。かつての盟友であり、ローマ最高の軍司令官との呼び声高いポンペイウスも、もはや元老院の側に付いています。

 カエサルの状況は予断を許さないものでした。属州総督は、軍団を率いたままイタリア半島のローマ本国に入ることが許されません。国境で軍勢を解散し、言わば「丸腰」の状態でローマに帰還するのが原則となっていました。

 しかし、これに忠実に従った場合、元老院側から何をされるか分かったものではありません。何しろ元老院には、グラックス兄弟の例を出すまでもなく、真に危険とみなした敵対者を、有無を言わさず葬り去ってきた過去があります。だからこそ、元老院から迂闊に手を出されないため、カエサルには権力だけでなく軍事力が必要だったのです。

 カエサルは、自身の無力化と失脚を目論む元老院に対して、先に動きます。指揮下の10個軍団を率い、アルプス山脈を越えたのです。カエサルは元老院に向けて最後の妥協案を送りますが、元老院はこれを拒絶。そして反対に元老院から、命令に従わない者は国賊として裁判無しの死刑とする「元老院最終勧告」が、カエサルに対して発せられました。

 もはや、交渉の余地は無くなりました。国家体制の「改造」という志を遂げるためには、国法を犯すしか道は無い。属州とローマ本国の境界線となっているルビコン川に至ったカエサルは、全軍を率いて、これを渡ります。「賽は投げられた!」の名言と共に。

次巻へつづく)