南米周遊記 第1章・南米到達編(3)/日本出国

13kgのバックパックを背負い日暮里へ

 2012年2月7日~3月12日にかけての南米旅行を描く本コーナー。前回は、南米へ渡航するにあたって必要となった諸準備について述べました。今回は、出国当日の様子を描きます。

 2012年2月7日。出国の日です。あいにくの雨の中、僕は13kgもあるバックパックを背負い、日暮里駅へと向かいました。「都心から成田空港へ36分でアクセス可能」と謳う、京成スカイライナーに乗るためです。

 平日の通勤ラッシュで混雑する山手線に乗るのは、少々気が引けました。僕の荷物は、背負うと自身の頭から優に飛び出るほどの大きさで、どのように持っても邪魔でしかなかったからです。他の乗客からの視線を痛いほど感じながら、僕は心の中で「すみません……」と謝りつつ、25分ほど耐え凌いで日暮里駅に降り立ちました。

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 実のところ、僕の実家から成田空港へ向かうには、成田エクスプレスを利用するのが最も楽です。伊東とは、空港で合流すれば問題ありませんでした。それでも僕が日暮里駅へと赴いたのには、理由がありました。

 この日、僕たちと中学高校時代を共に過ごした“壷”という非常に変わった名字の男が、日暮里駅まで見送りに来てくれることとなっていたのです。僕と壷は、6年間にわたって一度もクラスを違えたことがなく、切磋琢磨しながら勉学に励んできた仲でした。そんな彼が見送りに来るのであれば、多少の不便があっても日暮里まで行かねばなりません。

“旅慣れた人ほど荷物が少ない”は本当か

 さて、日暮里駅でしばらく待っていると、伊東からメールが届きました。それによると、壷は重度の風邪を引いてしまったらしく、見送りには来られないとのこと。僕は、高熱があるという壷の身を案じましたが、伊東には別の懸念が生じていました。

 伊東はこの機会に、壷から借りていた分厚いハードカバーの文献を返そうと考えていたのですが、彼が来ない以上、その思惑が完全に外れてしまったのです。その書籍だけ、空港から自宅に郵送するという選択肢もありましたが、伊東はその僅かなコストも嫌いました。結局、この重い文献は、伊東の手によって遥か南米の地へと運ばれることになります。

 伊東は元々、抱えてきた荷物の量が尋常ではありませんでした。僕は「旅慣れた人ほど、旅行の際の荷物は少なくなるもの」と考えていましたが、彼にはそれが当てはまりません。

 伊東が持ってきた南米各国に関する旅行案内書の数は何冊にも及び、これを合計すると5kgは下らないように思えました。ただ、こうした情報量の多さが、彼の果敢なる旅行を手助けしてきたのでしょう。現地でインターネットに接続できなくなった場合、紙の書籍は頼れる情報源となりますからね。

 加えて僕が驚いたのは、伊東が“食料”と総称するお茶、缶詰、お菓子の数々です。これらは、現地の食べ物が口に合わなかった場合を想定した、彼なりの“リスクヘッジ”でした。事実、彼が中東各国を旅し、過度な緊張と疲労から病に倒れた際、日本から持参した“食料”に助けられたそうです。

 もっとも、伊東には「友人を危険な目に遭わせてはならない」という彼なりの責任感があったようでした。いつもの1人旅以上に気を張ってくれていたのかもしれません。

研究対象とした偉人の墓前に卒論を供える

 ただ、どう考えても奇妙と言わざるを得ないのは、伊東がこの旅行に大学の卒業論文を持参していたことです。

 彼の卒論の題材は、イスメト・イノニュ(1884~1973)というトルコ共和国の第2代大統領についてでした。イノニュは第2次世界大戦期、トルコの舵取りを行い、祖国に戦火が及ぶのを防いだ人物です。

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トルコ共和国第2代大統領 イスメト・イノニュ

 トルコ共和国の偉人として世界史で学ぶのは、初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881~1938)くらいでしょう。一般的にイノニュの名を知っている人は少ないと思いますが、伊東はこの人物に興味を抱いたのでした。

 南米旅行の後、ヨーロッパへ飛び、最終的にはトルコへ渡る予定だった伊東は、イノニュの墓前に自身の卒業論文を供えることによって、確実に卒論の単位を得ようと考えていました。言わば、一種の“願掛け”です。

 この時期、僕たちは全ての授業を受講し終え、卒論の考査も終了していましたので、卒業できるか否かが努力によって定まる段階は、とっくに過ぎていました。しかし、自身が気になった部分に限っては過度な心配癖を持つこの男は、このような非科学的な方法をも取り入れて、まさに“全力”で学生時代最後の単位を取りにいったのでした。

西へ飛び、ユーラシア大陸を横断

 余談が過ぎたようです。とにもかくにも、日暮里駅で伊東と合流した僕は、京成スカイライナーにて成田空港へと到着しました。

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 まずは、日本円をドルへと両替。伊東曰く「南米の通貨には、為替取引料を勘案したとしても、現地での価値が高いドルから両替した方が、レートが良い」とのことでした。こうした情報を持っているあたりは、流石に世界旅行サークルの副幹事長です。

 あとは、飛行機のチケットを発券したり、大きな荷物を預けたりしているうちに、搭乗の時刻が近づいてきました。僕たちは、空港内にあるマクドナルドにて腹を満たすと、飛行機へと乗り込みます。

 地球の裏側に行くため、まずはユーラシア大陸を横断して、ロシアの首都モスクワへ。この旅を無事に終えられることを祈っていると、間もなく飛行機は日本を飛び立ちました。

次回へつづく)

※「南米周遊記」は、2012年2月7日~3月12日にかけての南米旅行を題材とした記事です。