第1回日本翻訳大賞「読者賞」受賞/『ストーナー』の魅力に迫る

50年の忘却から掘り起こされた小説

 世の中には小説が溢れています。紀伊國屋や丸善といった大手書店はもちろん、街角の小さな本屋に置いてあるものだけでも、その全てを読み切ることは出来ないでしょう。多くの作品が、出版されながらも陽の目を見ないまま、忘れ去られていくのです。

 しかし、一度は人々の忘却の彼方に沈みながらも、ひょんなことから世界的な注目を集めることとなった作品もあります。今回はそんな中から、ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』(作品社、東江一紀訳)を紹介しましょう。

ストーナー

ストーナー

 本作は架空の人物ウィリアム・ストーナー(1891~1956)の生涯を描いた物語。1965年にアメリカで刊行されたものの、大きな反響を得られないまま、50年近く忘れ去られてきました。

 ですが2011年、この『ストーナー』に感銘を受けたフランスの人気作家が翻訳を強く希望したことで、本作は再び眠りから目覚めます。フランスでベストセラーになると、ドイツ、スペイン、オランダなどでも次々に翻訳されて人気に火がつき、気付けば本国アメリカでも飛ぶように売れていきました。

 日本語に翻訳されたのは2014年。200冊以上の訳書を残した翻訳家の東江一紀(1951~2014)が訳し、第1回日本翻訳大賞で読者から圧倒的な支持を受けて「読者賞」を受賞しています。

誰もが辿る人生の描写に強く共感

 前述の通り、『ストーナー』は1965年に書かれた小説で、描かれるのも1920~30年代が中心です。しかし、流石に翻訳が絶賛されるだけあり、そこには半世紀以上前の作品を思わせる「古臭さ」はありません。

 舞台はアメリカ中部のミズーリ州。19世紀末、貧しい農家に生まれたストーナーは、農学を勉強するためミズーリ大学に進学します。そして、そこで文学と出会い、大学教員の道に進むこととなるのです。f:id:eichan99418:20200301155106j:plain

 本作の魅力は、その共感性です。全く同じ人生はあり得ませんが、多くの人が共通して辿る道はあります。恋愛、結婚、子どもの誕生、自宅の購入、友人・恩師・両親の死、同僚との確執、夫婦間の軋轢、子どもの結婚などなど……『ストーナー』で描かれるのは、古今東西、誰にでもありそうな一幕です。

 どんな小説でも基本的には物語の筋が通っていて、登場人物の言動の中に共感できる部分が何かしらあるでしょう。ただ、本作は特にそれを強く感じさせる作品となっています。

ドラマチックとは程遠い生涯を描く

 主人公のストーナーは、第1次世界大戦(1914~1918)、世界恐慌(1929)、第2次世界大戦(1939~1945)といった歴史的事象の影響を少なからず受けながらも、自身の生活スタイルは変えることなく、淡々と生きていきます。

 彼はいわゆる「アメリカンドリーム」を体現するわけでもなく、よくあるアメリカのヒーロー像とは程遠い人物です。性格は朴訥としていて、世渡りは下手ですし、学者肌で少し頑固者。作中のエピソードも、ドラマチックに仕立てられることなく、簡素に描かれている印象を受けます。

 生きていれば、少なからず理不尽な目に遭うこともあるでしょう。物事が思い通りに進まず、敗北感を味わうこともあります。ストーナーも、家庭と職場における人間関係や、自身の信念と現実との乖離から来る葛藤に悩まされ、理想的な人生と実際のそれを比較して失望を感じることがありました。

 ただ、そうした憂鬱な状況の中でも、前に進まなければなりませんし、細やかな希望や心の安らぎはあるものです。この作品が全体的にもの悲しさを帯びながらも、どこか救いがあるように思えるのは、ストーナーが大学教員という天職を見つけ、一貫してそれに邁進することができたからかもしれません。f:id:eichan99418:20200301155357j:plain

経験の強弱がページ数にも反映

 通常、作中に人の一生涯を全て詰め込むと、どうしてもただの伝記のようになりがちです。本作は325ページありますが、ストーナーの65年の生涯を描くとなると、単純計算1年をちょうど5ページで書かねばなりません。

 しかし、本作にはメリハリが付いており、例えば主要人物であるチャールズ・ウォーカーには56ページ(p150~205)キャサリン・ドリスコルには43ページ(p214~256)が割かれています。全体に占める割合は、前者17.2%、後者13.2%ですが、実際に描かれている期間はいずれもせいぜい1年(ストーナーの生涯の1.5%)といったところです。

 このように、平準化すれば5ページ程度に当たる期間に対して、約10倍ものページ数を割いているこの小説の在り方は、むしろ実際の人生にも通じるところがあります。僕たちは人生における全ての経験を平等な熱量で受容するわけではなく、本当に印象に残っている出来事は一握りだからです。

 ただし、作品の中でも、あれだけ長く描かれたウォーカーは、206ページ以降一度も登場しません。つまり、ストーナーにとって彼は、短期的には強い影響を及ぼしながら、人生的にはその程度の存在だったということです。

 それと対照的なのが、デイヴ・マスターズです。ストーナーと彼の交流には作品の4.6%にあたる15ページ(p31~45) しか割かれていない上、デイヴはかなり初期の段階で亡くなってしまいます。それでも、ストーナーは生涯に渡って彼のことを何度も思い返し、死の直前にも朦朧とする意識の中でその名を呼びかけるのです。

物語性と文学性のバランスが取れた作品

 誰の人生にも何らかの転機はありますが、人との出会いや別れはその最たるものでしょう。特に近しい人を失う経験は心に大きな影響を与えます。

 もちろん、出会いや別れには運命的な部分もありますし、そうした大きな出来事は頻繁に起こるものではありません。ただ、僕たちは大なり小なり常に岐路に立たされ、どの道に進むか選択を迫られています。

 今日何を着ていくか、何を食べるか、何時に寝るかといったことも、実は人生における決断です。そして『ストーナー』は、人生が決断の積み重ねであることを改めて認識させてくれる作品でもあります。

 また本作は、軸としての物語がありながら、折に触れて文学的な情景描写、人間の心情描写も垣間見られ、バランスの取れた小説でした。前述の通り、作中ではストーナーの淡々とした生涯が描かれおり、一般的な意味での「ドラマチックさ」はありません。それでも、酸いも甘いも感じながら、前を向いて生きるストーナーの姿に心を打たれるのです。