ローマ人の物語(19)/第4代皇帝クラウディウスの善政と悲劇

思いがけず帝位に就く

 歴史作家、塩野七生による大長編『ローマ人の物語』(新潮文庫)全43巻を紹介していくこのコーナー。前巻では、第2代皇帝ティベリウス(B.C.42~37)の治世後期(27~37)から、第3代皇帝カリグラ(12~41、在位37~41)の治世にかけてを描きました。

 さて、今回紹介する『ローマ人の物語(19)悪名高き皇帝たち(三)』(新潮文庫)では、カリグラの暗殺に伴って、思いがけずローマ帝国の最高権力者に担ぎ上げられることとなった第4代皇帝クラウディウス(B.C.10~54、在位41~54)の治世を見ていきます。

ローマ人の物語 (19) 悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (19) 悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)

  • 作者:塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/08/28
  • メディア: 文庫

高貴な家系に生まれる

 ティベリウスが健全財政を貫いて潤沢にした国庫をたった3年で枯渇させるなど、数々の暴政を行ったカリグラは、あろうことか皇帝を守るために組織されている近衛軍団によって殺害されます。一時的に空白となってしまった皇位を埋めるため、彼らが擁立したのがクラウディウスでした。

 ただ、便宜上「擁立」と表現しましたが、実のところは「連行」に近かったと言います。近衛軍団は「自分も殺されるのではないか」と恐れおののくクラウディウスを、言わば「ローマの全軍を動かせる最強の人質」として手中に収めることで、元老院に帝政の続行を求めたのです。元老院の中には、カリグラ暗殺を機に共和政の復活を目論む者もいたためでした。

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歴史家皇帝クラウディウス

 近衛軍団が皇位の対象者としてクラウディウスを選んだ理由は、彼が皇室に名を連ねていたためです。具体的に言えば、これまで何度も登場したゲルマニクス(B.C.15~19)の弟に当たるのがクラウディウスでした。つまり、ドゥルースス(B.C.38~B.C.9)と小アントニア(B.C.36~37)の間に生まれた兄弟のうちの1人というわけです。

 ドゥルーススは初代皇帝アウグストゥス(B.C.63~14)の妻リヴィア(B.C.57~29)の連れ子で、ティベリウスの実の弟に当たります。また小アントニアは、アウグストゥスが姉オクタヴィア(B.C.64~B.C.12)と、かつての仇敵マルクス・アントニウス(B.C.83~B.C.30)を政略結婚させていた時期に生まれた娘です。

 したがって、クラウディウスは第2代皇帝ティベリウスの甥、第3代皇帝カリグラの叔父であり、初代皇帝アウグストゥスやアントニウスの血も色濃く流れているという高貴な人物だったのです。

 ここのところの家系図は、下記の記事内で少し詳しく述べていますので、興味があれば参考にしてみてください。

歴史家人生を歩んできた

 これほど高貴な生まれにもかかわらず、クラウディウスがそれまで目立った公務にも就かずに埋もれてきたのは、彼が病弱だったからです。一説によると、クラウディウスは幼い頃に脳性麻痺を患っており、その影響で身体的な疾患を抱えていました。

 周囲の人々に疎まれる中、唯一クラウディウスのことを助け、励ましたのが、兄のゲルマニクスでした。これで何とか平穏な少年時代、青年時代を送ることができたクラウディウスでしたが、やはりほとんど誰も彼を公職に就けようとはしなかったのです(カリグラが1度だけ彼を執政官にしています)。

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兄ゲルマニクスだけが味方だった

 ただ、政務にこそ携わってこなかったものの、元来学者肌であった彼は、50歳に至るまで立派な歴史家として過ごしてきました。帝政ローマを代表する歴史家のティトゥス・リヴィウス(B.C.59~17)を師と仰ぎ、実際に歴史著述も行っています。

ブリタニア遠征で成果を上げる

 こうして権力とは縁が無いまま、歴史家としての道を歩んできたクラウディウスの元に、突然皇帝の座が転がり込んできました。担ぎ上げられた形とはいえ、彼は皇帝として広大な帝国の統治を行う覚悟を決めます。

 クラウディウスは長い間歴史を研究してきただけあり、その豊富な知識を生かして、帝国運営には相当な責任感を持って取り組みました。彼は、カリグラがわずか3年で破綻させた国家財政と外交戦略の立て直しを行います。

 この中で、ローマ帝国の皇帝としては初めてブリタニア(現在のイギリス南部)に本格的な遠征を行い、その南部を征服しました。ちなみに、ブリタニア攻めの先鞭をつけていたのは、あのガイウス・ユリウス・カエサル(B.C.100~B.C.44)です。

 前述のように、クラウディウスは軍事についても未経験でしたが、些事に関しては優秀な部下に任せる器量を持っていました。このブリタニア遠征で活躍した武将の中から、後に皇帝となるティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス(9~79)が出ます。

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同化政策をガリア人にも適用

 クラウディウスの施策の中でも、ガリア人の元老院入りに対する認可ほど、古代ローマの在り方を象徴するものは無いでしょう。この際に彼が元老院で行った演説は素晴らしく、全訳を掲載したいくらいなのですが、かなり長いので自重せざるを得ません。

 趣旨としては、ローマがこれまでに「かつての敗者」をも自国に取り込むことで成長してきた事実を思い起こさせ、この同化政策は約100年前にユリウス・カエサルが征服したガリア(現フランス)の人々に対しても適応されるべきだとするものです。

 ローマの歴史を王政時代(B.C.753~B.C.509)にまで遡って言及したり、アテネやスパルタといった他国の歴史と比較したりすることで、抜群の説得力を帯びており、まさに「歴史家皇帝」の面目躍如たる名演説でした。

悪妻により暗殺さる

 この他にも、秘書官システムの導入、郵便制度の民間開放、新たな港の建設など、精力的に帝国統治を推進したクラウディウス。彼はカリグラによって地に落ちた政治の信頼回復に努めましたが、不運なことに、良妻には恵まれませんでした。

 1番目と2番目の妻とは、上手く行かずに離婚。それならば可愛いものですが、3番目の妻であったメッサリーナ(20~48)は、皇帝である夫の権力を傘に、不快な人物や敵対者を処刑するなど、好き放題に振る舞いました。

 権力欲や物欲だけでなく、極度の放蕩癖もあったメッサリーナは、別の男性と不倫するばかりか結婚までして重婚状態となり、さらにはクラウディウスの殺害まで企てました。これでも彼は気にかけなかったそうですが、流石に側近が許さず、メッサリーナは誅殺されることとなります。

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野心家だった小アグリッピーナ

 ただ、4番目の妻となった小アグリッピーナ(15~59)は、メッサリーナに輪をかけた権力欲の持ち主でした。彼女は自らの連れ子であるネロ(37~68、在位54~68)を帝位に就け、その母として権勢を振るう野望を抱いていたのです。

 そもそも彼女はゲルマニクスの娘であり、クラウディウスとは叔父と姪の関係に当たります。ローマではこれほど近しい親戚同士の婚姻が禁じられていたにも関わらず、法律を曲げての強引な結婚でした。

 皇后となった小アグリッピーナは、息子のネロをクラウディウスの養子とすることに成功。これは半ば、ネロが次期皇帝となる確約を得たようなものでした。

 それから少しして、クラウディウスは好物のキノコ料理にあたって死去します。何でも、料理の中には毒キノコが入っていたとのことで、状況からの推測に過ぎないとはいえ、小アグリッピーナによる毒殺とする説が古来より有力です。

 歴史の表舞台に突然引き出されたクラウディウスは、帝国の安寧のために最大限の努力を重ねた後、こうしてその生涯を終えました。そして、小アグリッピーナの計画通り、第5代皇帝の座にはネロが就くこととなったのです。

次巻へつづく)